仙人はいつも虎が小さい鼠のままであるかのように接しました(イメージ画像)

仙人と鼠【世界むかしばなし】(13)

昔々、森の奥深くに仙人が暮らしていました。ある日、仙人が食事をしようと腰をおろしたときのことです。突然、空から鼠(ねずみ)が落ちてきました。どうもカラスが落としたようです。仙人は鼠を家に入れ、お米を食べさせてやりました。

ある日、猫があらわれ鼠を追いかけ回しました。仙人は自分の可愛がっている鼠が食べられてしまうのではないかと心配になりました。そこで神通力をつかって鼠を猫に変え、もう他の猫に襲われないようにしてやりました。

次の日、犬があらわれ猫を追いかけ吠え立てます。そこで仙人は猫を犬に変えました。

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孔子もかつて「その善なる者を選びこれに従い、その善ならざるものにして、これをあらたむ」と戒めたように、他人の良い面を自分が習う手本とし、他人の良くない面を自分の戒めとして、さらに自分の良くない点を改めるべきなのです。
中国の明の時代、江蘇省の江陰に張畏岩(チョウ・ワイガン)という男がいました。地元では文章の達人として知られていました。
宋の粛王と沈元が使節として北方へ行き、燕山で宿をとった後、言葉使いが非常に優美な3000字ほどの唐の石碑を見つけた。沈元は記憶力が非常にたけていたので、何度も朗誦を繰り返すが、傍らを歩いている粛王は気にとめないようであった。
「善」は美徳であり、プラスエネルギーの循環をもたらします。人々を感動させ、天地万物も感動させます。ここで、中国の唐の時代に、山河に隠居していた人が善行を行い、虎から恩返しを受けたお話をしましょう。
それは影でも、虎でもあります。自分を知るとき、それは自分の影となり、自分を見失ったとき、それは虎になります。