グローバリズムと自由は相容れない
アメリカの移民危機について友人と話したとき、彼女は興味深い見解を示した。今日、世界で最も繁栄している西側諸国の多くが、同じ問題に直面している。移民が溢れかえり、システムを圧迫し、市民を激怒させ、財政負担を増やし、治安を乱している、政治的不安定を招きかねない。
数十年もの間、国境紛争や他の混乱に関連した局地的な移民問題は多かった。それなのに、なぜ一度に多くの国々が壊れた移民システムを悪用する人々の大量発生に直面することになったのだろうか? 言い換えれば、どうして地域的な問題がこんなに急速に世界的な問題になったのか? なぜすべての国境システムが一斉に崩壊したのか?
そして、その前の問題について考えてみよう。私たちはCOVID危機に対してグローバルな対応をしてきた。ほとんどの国の政策反応は不気味なほど似ていた。マスク、ソーシャル・ディスタンシング、閉鎖、旅行制限、収容人数制限などが行われたが、一方で大企業は営業を続けることを許した。これらの方法は、現代で前例がないものだったが、ほとんどの国で試みていた。
それに従わなかったスウェーデン、タンザニア、ニカラグアなどの国々は世界のメディアから容赦ない攻撃を受けている。
移民問題とパンデミック計画の問題は、たった2つのデータポイントに過ぎないが、どちらも不穏な現実を示唆している。ルネサンス以来、場合によっては古代世界までさかのぼり、政治を支配してきた国民国家は、グローバリズムと呼ぶべき新しい政治形態に移行しつつある。
グローバリズムとは、国境を越えた貿易のことではない。それは、政治的統制のことであり、各国の市民から、市民が統制したり影響を与えたりできない別のものへと向かうことである。
1648年に締結されたウェストファリア条約以降、政治には国家主権の考え方が浸透した。すべての国が同じ政策を必要としていたわけではない。平和という目標に向かって、違いを尊重していたのだ。このことは、国家間の宗教的多様性を容認することであり、別の意味での自由な展開につながる譲歩であった。このシステムはうまくいったが、誰もがそれに満足したわけではない。