少し前、とても良いカントリーソングに出会いました。その中に、こんな一節があります。
「ある人たちは一手一手を計算する。彼には証明しなければならないことなど何もなかった」(Some people calculate moves. He never had a thing to prove.)
たった11語でこの歌詞は、私がなりたいと願う人物像を鮮やかに描き出すと同時に、私が避けたいと思う姿を強く思い起こさせてくれます。
意図的に生き、自分自身を高めようとする過程には、物事や人間関係、機会から何を得られるかを常に計算する人になってしまうという、現実的な危険があるのです。
そうした人は、生産性を重んじ、人生で意味のあることを達成しようと努力しますが、その結果、自己意識が過度に強まり、自己中心的な生き方に陥ってしまうことも少なくありません。
自己改善のパラドックス
意図的に生きるとは、自分の選択がどれだけ自分の目標と一致しているかを、より意識的に捉えることです。そして時間をかけて少しずつ、その差を縮めていくことで、行動が理想の自分や望む人生と強く結びついていきます。
私はこのテーマについて長年にわたって幅広く執筆しており、その価値を非常に高く評価しています。
ただし、意図的に生きることの多くの価値は、人生をまったく振り返らない状態から、たとえば年に一度、自分の一年を総括するようになる段階で得られるものです。
ところが、さらに意図的に生きようとすると、その恩恵は次第に薄れ、やがて負担に変わっていくことがあります。気づけば、先ほどの歌詞とは真逆の人間――つまり一挙手一投足を計算し、自分の重要性を世界に示そうとする存在になってしまっているのです。
その時点では、すでにやりすぎている状態です。おそらく頭の中は自分自身のことばかりで、今あるものへの感謝や、自分の人生が他者にどう役立つかを考える時間が、極端に少なくなってしまっているのです。
過度な最適化がもたらす落とし穴
私は意図的に生きることに大いに賛成していますが、そこには二つの注意すべき危険があると考えています。
一つ目は、人を目標達成のための手段として扱ってしまい、その人自身を楽しめなくなることです。
もし、昔の友人から突然連絡があり、「自分に関心を持ってくれているのか」と思ったら、実はマルチレベルマーケティングへの勧誘が目的だった…そんな経験があれば、この感覚は理解しやすいでしょう。それは、相手が友情を大切にしていたのではなく、自分の「役立つ価値」を目的に接してきたのだと感じてしまうからです。
二つ目の危険は、あらゆる行動を計算し、「理想的すぎる」選択ばかりを重ねることで、人生から楽しさや自発性を奪ってしまうことです。
たとえば、私はかつて2〜3年かけて、毎週1冊の古典を読むという厳格な読書計画を立てたことがあります。優れた思考によって知性を高めようと考えてのことでしたが、結果はどうだったでしょうか。
私は結局、大好きだった読書を、義務感に縛られた作業に変えてしまっただけでした。さらに悪いことに、計画に沿って読んだ本よりも、純粋な好奇心から手に取った本のほうが、はるかに記憶に残っていることが分かったのです。
バランスを取り戻すために
このパラドックスへの解決策は、「意図的に生きることをやめる」ことではありません。そうではなく、意図性を向ける対象として、もう一組の価値観を加えることです。
意図的に生きようとすると、多くの場合、人は次の方向へ進みます。
1.より強いコントロール、より綿密な計画、そしてより少ない自発性。
2.価値を測定しやすい活動や成果に集中する傾向です。
こうした傾向とバランスを取るために、私はその反対の要素にも、あえて余地を持たせることを勧めます。
1.神秘性や不確実性、予期せぬ出来事を、再び人生に迎え入れること。
2.「そうすべきだから」ではなく、「本当にやりたいから」行動すること。
私はいつも自分に言い聞かせています。人生は競争でも、複雑なゲームでもなく、じっくり味わうべき贈り物なのだと。だからといって、快楽を最優先するような生き方や、衝動的な行動を勧めているわけではありません。ただ、人生は「豊かだ」と感じられるものであるべきだと思うのです。
すべての時間を生産的に使う必要はありません。ときには、何の目的もなくのんびりと過ごしたり、あてもなく散歩する時間も大切です。
すべての本が教育的で情報に満ちている必要もありません。ときには、現実から少し離れて楽しむ読書も心を癒してくれます。
そして何より、友情は何かの目的のためにあるわけではありません。ただ一緒に過ごし、互いの存在を楽しむだけで十分なのです。
私はこれからも自己改善を支持していきますが、それを人生の中心に据えてしまうことには注意が必要だと考えています。自己改善とは、豊かで満足感にあふれ、目的意識のある人生を実現するための「手段」であるべきなのです。
(翻訳編集 井田千景)
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