立派に育てたい。
その思いは本物。でもそれは、愛?それとも、不安?
子どもを立派に育てたい。
困らない人生を歩ませたい。
できれば失敗の少ない道を選ばせたい。
だから厳しくする。
習い事を増やす。
少しでも多くの「正解」を植え付けようとする。
でも気づけば、互いに苦しい。
家の中に小さな緊張が積み重なっていく。
「このままでいいのかな」
「ここで手を緩めたら、後悔するかな」
愛しい我が子だからこそ、手放せない。
でも、握りしめすぎている。
つぶしてしまいそうで、そして自分も壊れそうになる。
ここまできたら、一度止まろう。
これ以上、無理して走っても、きっと良い結果にはならない。
「理想のレール」
私もかつて、
母が敷いたレールの上を歩かされていた。
上流社会へ。
人に好かれる術を身につけて。
周りが羨む人生へ。
それは母なりの愛だった。
疑いようのない、本気の願いだった。
でも私は、苦しかった。
好きな人と、自由に生きたかった。
結局、自分の道を選んだ。
それが正解かどうかはわからない。
そもそも人生に正解なんてない。
でも、自分で選んだ。
だから後悔はしていない。
そして今は、母に感謝している。
歩かなかったあのレールも、
確かに愛だったのだとわかるから。
もしかすると、
親が敷くレールは、恐れから生まれる。
失敗させたくない。
傷つけたくない。
不幸になってほしくない。
その怖さが、
いつの間にか執着に変わる。
そして気づけば、
自分も同じことをしている。

理想の人生のレールを敷いてくれた親は今、もういない。
だから何でも、自分で越えていくしかない。
でも苦しいとき、
思い出すのは、親の愛だ。
それがあるから、
また立ち上がれる。
では、もし私がいなくなったら。
子どもは何ができるだろう。
自分を信じられるだろうか。
転んでも立ち上がれるだろうか。
「愛しているよ」という言葉は、ちゃんと届いているだろうか。
本当に、届いているだろうか。
きっと困ることはたくさんある。
でも、それでいい。
全部を親が先回りしたら、成長する力を奪ってしまう。
転んだほうがいい。
挫折も経験したほうがいい。
打たれ強い子になってほしい。
自分で転び、自分で立ち上がる。
その姿を、
少し離れたところから、
そっと見守ればいい。

子どもの人生は、その子のものだ。
その子の魂の道は、その子自身が歩く道。
幸せになっても、不幸に転んでも、
そこにはその子にしか越えられない課題がある。
親が全部を背負うことはできない。
全部を決めることもできない。
技能はあとからでも身につく。
知識も必要になれば覚える。
社会の荒波に揉まれれば、人は強くなる。
でも、「自分は愛されている」という感覚だけは、
幼い今しか、深く根づかない。
立派になるより先に、
人にやさしく、
何度でも立ち上がれる子であればいい。
そして伝えよう。
ママが敷いた理想のレールは、あなたを愛しているからこそ敷いたもの。
でも、そのレールを歩かなくてもいい。
あなたは、自分で道を選んでいい。
私にできることは、「愛しているよ」と伝えること。
何度でも。
しつこいくらいに。
いつか私がいなくなり、
その子がふと私を思い出すとき、
あの言葉が、心のどこかに残っていればいい。
人生で苦難に遭ったとき。
絶望しそうになったとき。
「私は、愛されていた」そう思い出せるように。
「今を抱きしめて」
人はつい、
この生活がずっと続くような気がしてしまう。
朝が来て、
ごはんを作って、
叱って、笑って、
また明日も同じように続くと。
でも命は、永遠じゃない。
子どもも、いつか巣立つ。
小さな手は、やがて大きくなる。
抱きしめられる時間は、思ったより短い。
今はまだ抱きしめられる。
目の前で、元気に息をしている。
いま、そばにいられるこの時間を大切にしよう。
いつか手を離す日のために、
いまは、そっと抱きしめていよう。

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