【万物は語る】地上の灯火が星明かりを覆い隠すとき

幼い頃の夏の夜、大人たちはよく竹の寝台を屋外に持ち出して夕涼みをしたものだ。その竹の寝台に横たわると、目の前に広がるのは満天の星空であり、淡い天の川が夜空を横切っていた。大人たちは、どれが牽牛星(アルタイル)でどれが織女星(ベガ)かを教えてくれた。そうして、無数に瞬く星々の中から、天の川を隔てて見つめ合うその二つの星を探したのである。あの頃は、天の川が一体どれほど巨大なものかも知らず、ただ空は高く、星は数多く、そして自分はその星空の下に横たわっているのだと感じていただけだった。

それから長い年月が経ち、改めて都市の夜空を見上げても、もはやそのような情景を目にすることは難しくなった。

夜はすでに更けているというのに、都市はいまだ明るい。街灯、ビル群、看板、そして車のヘッドライトが、夜の闇を灰白色に染め上げている。見上げる空は広大だが、どこか空虚に映る。運が良ければ最も明るい星がいくつか見える程度で、大半の星々はまるで天空から消え去ってしまったかのようだ。

しかし、星々が消えたわけではない。

都市を離れ、真の闇が降りてくるのを待ちさえすれば、星々は再び一つ、また一つと姿を現す。天気が十分に澄み渡り、周囲が十分に暗ければ、天の川は今なお天空を貫き、びっしりと敷き詰められた星々が端から端へと広がっていく。

このような夜空の下に立つと、人は心から実感する。頭上にあるのは黒い幕などではなく、底知れぬ深さを持つ宇宙そのものであると。

星はいつだってそこにあったのだ。変わってしまったのは、人間の世界である。

数千年の昔から、夜を迎えるたびに人々が対峙してきたのは闇であり、同時に星空でもあった。いにしえの人は北斗七星を見て方角を定め、二十八宿を見て季節の移ろいを知った。日月の巡りを記録し、彗星や客星(新星・超新星)、日食や月食を記録にとどめた。歴代の正史には専門の「天文志」が設けられ、司馬遷の『史記』には「天官書」がある。古代人の世界において、天文学は人間界から遠く離れた学問では決してなかった。天に四季があれば人に日々の営みがあり、天に日月の満ち欠けがあれば人間に成長・収蔵のサイクルがある。北斗七星の柄が巡るのに伴い、節気もまた移ろいでゆく。

 

現代人はより遠くを見つめるようになった

今日、私たちは古代人よりもはるか遠くまで見通せているように思える。

現代天文学は巨大な地上望遠鏡や宇宙望遠鏡を駆使し、人間の視線を宇宙の果てしない彼方へと伸ばした。ハッブル宇宙望遠鏡に続き、ジェームズ・ウェッブ宇宙望遠鏡は、初期宇宙から届くかすかな光をも捉えることを可能にした。光が空間を旅するには時間を要するため、極めて遠い銀河を眺めるということは、宇宙の久遠の過去を眺めることと同義である。

かつて肉眼では天の川の中の星々しか見えなかったが、現代の人は銀河系の外にも無数の銀河が存在することを知っている。かつてはただの一つの輝く星として見ていたものを、今ではそのスペクトル、温度、組成、運動まで分析できるようになった。宇宙の深淵から地球へと届く一筋のかすかな光さえも、遥かなる世界を知る手がかりとなるのである。

現代科学は絶えず私たちに一つの事実を教えてくれる。宇宙は肉眼で見えるものよりはるかに広大であると。

だが、ここには誠に興味深いコントラストが存在する。私たちはますます遠くを見られるようになった反面、必ずしも天に近づいたとは感じられなくなっているのだ。

宇宙望遠鏡は人の視界を何億光年もの彼方へと届かせるが、都市に暮らす人間は、一歩家の外に出ても天の川すら拝めないかもしれない。

私たちは銀河、恒星、ブラックホール、宇宙空間についての知識をますます多く蓄えているが、宇宙を自分から遠く離れた単なる「研究対象」へと矮小化してしまいがちでもある。宇宙はデータの中にあり、写真の中にあり、望遠鏡の向こう側には存在するが、一人の人間の生命の実感の中に常に立ち現れているとは限らない。

古代人はそれほど遠くまでは見通せなかったが、燦然と輝く星々の下で暮らし、「天の外に天あり」という広がりを実感していた。対して現代人は、極めて遥かな宇宙を見通せるようになりながらも、灯火、高層ビル、そして液晶画面で構成された人工の世界に暮らし、かえって長いあいだ真摯に星空を見上げることすら忘れてしまっているのではないだろうか。

 

人と天の繋がり

中国の伝統文化において、人間が天地の外に孤立して置かれたことは一度としてない。

いにしえの人々は「天人相応」「天人合一」を説いた。大宇宙に陰陽の消長、日月の運行、星々の巡り、四季の交代があるように、人の生命にもまた自ずからなる生成、盛衰、そしてリズムがある。このような天地観において、人は天地から切り離されて孤独に存在する生命ではなく、より広大な天地の運行と互いに結びついているとされる。道家は「人体は一つの小宇宙である」と考えた。また道家の修練は自らを内観することを重んじ、この小さな人の身の内にも、肉眼で見える世界よりはるかに広大で複雑な生命の世界が存在していると捉える。

民間には古くから示唆に富む言葉が伝わっている。「天に一つの星あれば、地に一人の人あり(天上一顆星,人間一個丁)」。天の星々と地上の生命とは、決して完全に隔絶された二つの世界ではない。天を見上げることは、自らと深く息通い合う宇宙と向き合うことでもあるのだ。

外へ向かって蒼穹を仰ぎ、内へ向かって己を省みる。宇宙を知ることは、自らを知ることでもある。

このように捉え直すとき、古代人がなぜあれほど熱心に天を観察したのか、その意味がさらに深まって見えてくる。彼らの関心は、単に空に何があるかということだけに留まらず、人が天地のあいだでどのような位置を占め、何に従い、何を畏敬し、そしてこの大いなる秩序といかに調和して生きていくべきかという問いにも向けられていたのだ。

見渡せば、家並みや道路、城郭などは、天地の間におけるごく小さな一部分にすぎない。そのさらに上には月や太陽、天の川、そして肉眼では捉えきれない星々が広がっている。このような途方もないスケールを前にすれば、人間はあまりにちっぽけに見える。しかし、その小さな人間が、宇宙を仰ぎ見て自らを省み、星々を通して自らの起源を問い尋ねることさえできるのだ。

このこと自体、深く思索するに値する。

 

星々が燦然と輝くとき

いつの日か、私たちは真の意味で都市を離れ、闇を探しに行くべきなのかもしれない。

最後の街灯が遠くへ消え去り、目が少しずつ真の夜色に慣れていくのを待つ。最初はほんの数個しか見えなかった星が、やがて十数個、数十個、数百個と闇の底から浮かび上がってくる。そして最後に頭上を仰ぎ見たとき、自らの頭上には元よりこのような世界が広がっていたのだと気づくのである。

その瞬間、地上の喧騒はふっと静まり返る。

街の中では意識のすべてを占めていた事柄――通知のメッセージ、口論、一度の損得、一日中の忙殺――そうしたものが満天の星の下に置かれた途端、急に色あせて小さく見えてくる。それらが存在しなくなったからではない。自らを見つめるスケールが変わったからだ。

人は再び思い出す。足元には大地があり、頭上には宇宙が広がっていることを。そして自らの生命は、部屋や道路、仕事や画面の狭間だけに閉じ込められているのではないということを。

数千年にわたり、人々は夜を迎えるたびにこのような気づきを与えられてきた。しかし今日、私たちは地上の灯火を自ら消し去って初めて、ようやくそれを思い出す機会を得るに至ったのである。

近代都市の灯火は、通りやビル群、そしてナイトライフを照らし出したが、同時に真の夜の闇を少しずつ遠ざけてしまった。天の川が都市の空から消え去るにつれ、人と星空との間にあった最も素朴で直接的な結びつきもまた、次第に希薄になっていった。

それゆえ、灯火に遮られたものは、単なる星明かりだけではない。それは目に見えない形で、人と天との間をも切り離してしまったのである。

地上の灯火が退き、無数の星々が再びその姿を現すとき、久しく覆い隠されていた人と天との繋がりもまた再び結び直されるだろう。それはあたかも、「水の尽きる処に行き着き、坐して雲の湧き上がる時を看る(行到水窮処,坐看雲起時)」という境地のようでもある。

その瞬間、人が再び目にするもの――それこそが自らの真の故郷である「天郷」なのだ。

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