元平壌市民 10人 、アリラン公演告発

2005/10/21 09:23
 【大紀元日本10月21日】「北朝鮮人民と軍人400万人余り、海外同胞と外国人などがアリラン公演を見たが、すべての観覧者たちの反応はすごく良かったと言う」 (金正日談; 北朝鮮雑誌朝鮮芸術 8月号)

 北朝鮮では、金正日の言葉はすなわち 「神様の命令」だ。金正日がアリラン公演を肯定的に評価すると 2002年 8月 18日に幕を閉じたアリランが今年の秋にまた復活した。北朝鮮は今 「神様の命令」を貫徹するため努力中である。

 北朝鮮の 『アリラン対外招待歓迎委員会』は各国の旅行社に招待状を送った。 ロシア、中国、モンゴル、香港、イギリス等で一日平均 500人余りの観光客を集めていると聞いた。ロシア人観光客たちのためには『アリラン航空機』が運営され、最近はアメリカ人たちにも北朝鮮訪問を開放している、とニューヨークタイムズ 2日付けが伝えた。

 韓国では 『同胞民族統一本部』、『民族同胞相互支援運動』等の民間団体で約 1万人の平壌訪問を推進中である。平和航空旅行社と自由旅行社、 韓国ツアーモールも民間人の平壌訪問団を募集している。自由旅行社の平壌観光商品を見ると 、1人当り観光費用は航空運賃を含めて 1泊 2日で 110万ウォン、2泊3日で 150万ウォン程度である。

 一方、『アリラン航空機』で平壌を訪れるロシア人観光客たちは 4泊5日の滞在で、観光費用は 420 ユーロ(52万ウォン)になる。韓国観光客の日程は強行軍なのに、価格は約二倍も高い。

 約10万人の北朝鮮市民が動員されて一身に動く『アリラン公演』に対して韓国メディアは 「北朝鮮芸術界が見せてくれることができる最高の成果」(統一日報)、「世界的なメディアも熱っぽい賛辞を送っている感動的な公演」(CBS時事報道)、「現在の北朝鮮の姿ではない、彼らの念願が込もった未来型」(中央日報) 、「北朝鮮体制が一人のためにどれだけ多くの犠牲を強要してきたのかを容易に感じることができた」(東亜日報) など、各個各様の評価をしている。

 北朝鮮の有力な観光商品アリラン公演に、主な動員対象である北朝鮮青少年たちのどのような血と涙が隠されているのか? 元・平壌市民 10人の声を聞いてみよう。そしてアリラン公演チケットを買うか買わないかについてもう一度考えて見よう。

 1 イ・ション○ (女、35歳、平壌市大同江区域居住、2003年入韓)

 “夜の十二時まで空腹に耐えながら練習”

 中学校4年生の87年から 89年までマスゲームに動員された。幼少時のことだから動員された行事名は思い出せないが、子供場、軽工業場、農業場など多くの段落があって、我校は農業場を担当したことを覚えている。それは体操部門だった。

 練習はほとんど1年中ずっと行われた。最初の5ヶ月位は午前に授業して午後にだけ訓練するが、本番 1ヶ月前からは一日中訓練した。1~30番まで多くの動作があったが集団で一人だけ違っても、はじめからまた始めなければならなかった。

 練習期間中 70~80%は夜12時まで練習した。序盤には鼻血をこぼして倒れる子供達が続出するが、数ヶ月経つと鍛錬の為かそのような子供達はいなくなる。

 お昼はお弁当を食べて夕食はなく、間にはおやつとして支給されるパンや糖菓類のみ。夜の十二時まで空腹に耐えながら練習する。北朝鮮の子供達はお菓子を食べる機会が少ないため、この時受け取る糖菓類が唯一の喜びだった。それを食べるために苦痛に堪える。糖菓類を食べずに持って帰って、妹や、弟に渡す子供もいた。

 2.キム・ソンシク (男、39歳、平壌市中区域居住、2003年入韓) 

 “お母さんが作ってくれたスープを飲みながら泣いた記憶 今も目に浮かぶ”

 私は 1982年、金日成の生誕70周年を記念する平壌市学生少年たちの大型マスゲーム “首領様の御健康を慎んで祈ります”に参加した。23年前の事だが、歳月は経っても 6万人も参加した大公演だったので、いまだに記憶は鮮やかだ。

 私は器械体操組に属して鉄棒をした。当時身長が 160㎝だったが、 高さ2.5mの鉄棒台で大車輪の動作(鉄棒動作は 1~6級まであり、大車輪は6級で最高難易度)をした。鉄棒する人々は、クラスや居住区域にかかわらず上手な学生だけが特別に選ばれた。

 鉄棒に連結帯を括り付けて大車輪を 10回以上やると腕が抜けるようだった。本番の 6ヶ月前からは正に大量に練習しなければならない。終日練習すると、後には猿のように鉄棒にどんどんぶら下がることができるようになった。

 訓練の途中、お母さんたちが当番制でご飯と食べ物を持って来たりした。あの時、腕が痛くて、お母さんが盛ってくれたスープを飲みながら泣いた情景が今も目に浮ぶ。

 3.チョン・ナン (男、33歳、平壌中区域居住、2000年入韓)

 “学校は中隊、学級は小隊と呼ばれる軍隊式の訓練”

 87年から89年まで動員された。大きい行事だけ 6回参加した。私は体操隊に属していたがカードセクションを担当した背景隊の子供達の苦痛は筆舌に尽くしがたいものである。

 体操隊の子供達は休むことなしに動き、全く同じ動作を繰り返す。何層ずつかの人間塔を組まなければならない時もあるので、脱臼や骨折を負う場合が多かった。金正日の2・16生誕節のためには、真冬に練習をしなければならないので背景隊では凍傷に罹る子供達も多い。

 全ての練習は軍隊式で、学校を ‘中隊’と呼び、中隊長は学校社労青委員長が担当する。学級を‘小隊’と呼び、学級班長が小隊長を担当する。一つの小隊がカードセクションの一列、体操隊列の一列を担当する方式だ。

 お昼はお弁当を食べて、毎点xun_齧シずつ‘スープ当番’を決めて、学級全ての子供達が食べるスープを家で作って持って来る。真冬にぶるぶる震えながら、冷えたスープに冷飯を入れて食べたことが記憶に残っている。89年の行事では、参加者全員が中央社会労働党青年団の表彰を受けた。

 4.ユ・チソン (男、39歳、平壌普通江区域居住、2000年入韓)

 “小水を我慢して慢性膀胱炎になるケースもある”

 私は音楽学校に通っていたのでマスゲームには動員されなかった。マスゲームには一般学校の子供達だけが動員され、特殊な学校に通う子供達は動員されない。

 大学当時、普通江病院に入院した際、同じ病室に慢性膀胱炎で入院していた人々が何人かいた。中学生の時、マスゲームをする際に小水を我慢して膀胱炎に罹ったのだ。

 背景隊の子供達の場合、実際の訓練に入ると間に休み時間はなく、何時間も一箇所に座っていなければならない。缶を持っていて、その場に座って小便する場合もあるが、たいていそのまま堪えてしまう。だから病気にかかる。本番の時にはびくともできないからその席で大小便する場合もある。

 数千人、数万人の子供達が一緒に練習するのに、トイレは数箇所しかなく、練習途中の休み時間に子供達が競技場周辺のあちこちで放尿し、臭いが充満した場合もあった。

 5.チョン・○チュ (男、36歳、平壌市大同江区域居住、2004年入韓) 

 “カードを翻えし間違うと棒の洗礼を受け、集団で気合いを入れられる”

 5万人ほどが参加した 1989年の行事が私の記憶に残っている。行事名は思い出せないが、当時背景隊に属していて、最後の一月はあまりにも苦しかった。幼いながらも、緊張感で髪の毛が逆立っていた。

 当時カードは 250枚位だったのを覚えている。小さな行事は80枚、多い場合は 300枚以上が必要となる行事もあった。厚さは 15~20㎝、重さは 10~15㎏位になる。それを毎日担いで練習に通うことも苦痛である。

 背景隊の位置によってカードの数字が変わったりする。背景隊の中央は特によく変わる部位であり、そこを担当する背景隊もカードが多い。金日成、金正日の顔が登場する部分を担当する場合には特に気を付けなければならない。カードを翻し間違って、顔に傷でも付ければ大変な事になるからだ。

 非常に広い背景隊でも指導員は間違った所をうまく探し出す。動作を間違えば容赦なく先生の棒が飛んで来て、また連帯責任で気合いを入れられたりする。

 マスゲームの練習過程を内容とした記録映画が封切られたと聞いたが、ありのままを見せることはないだろう。北朝鮮は外国からのお客さんが来れば徹底的に組織されて演出された姿だけを見せるのだ。

 6.オ・ヨンヒ (女、35歳、平壌市中区域居住、2003年入韓)

  “金正日が本番に来場せず泣いた”

 朝鮮体育指導委員会傘下のマスゲーム創作団で体操の振付を担当した。体操選手で体育団に属していたので特別に選抜され、1994年 8月から 2000年まで働いた。その間、創作に参加したマスゲームは数知れない。

 マスゲーム創作団は体操、楽団、演出、照明、経理、供給、器械など数十の課に分けられている。行事が計画されると、芸術体操、器械体操などの役目によって、または初章、終章など場別で部署がもっと細分化される。

 行事準備期間の間、創作団員たちの緊張感は極限まで高まる。特に金正日が参加する 『1号行事』の場合、極度に緊張するようになる。行事はほとんど一年中あるため、常に緊張状態の中で生きている。炎天下で子供達を訓練させると、 帽子を被っても夏が過ぎると顔が真っ黒になっていた。

 金日成没後の1995年1月1日、行事に金正日が来場すると思ったが、結局来ずに参加者全員がこんこんと泣いたことを覚えている。今振り返って見れば馬鹿馬鹿しいが、北朝鮮に住んでいた時には自然に私もそのようになっていた。頑張って練習した甲斐がなくなったと思った。

 現在のアリラン公演を録画テープで見た。北朝鮮は昔のままだという気がした。このようなマスゲームは北朝鮮だけで、世界でも稀であろう。こういう公演を見に行くことは自由だが、苦労する北朝鮮市民たちのことも思ってほしい。

 7.ユン・ヒェリョン (女、29歳、平壌市中区域居住、1998年入韓)

 “権力のある家の子息はマスゲームを免れて”

 私はマスゲームに動員された事はない。普通 一学級40人だが、1~2人位は動員を免れる。音楽、体育などの特技学生である場合はそうだ。私はバドミントンの特技学生で中学校 4年生の時、体育団に入った。

 権力のある家の子供達も動員を免れる。「後方事業」と言って、練習に参加する子供達におやつを提供して抜けるのだ。

 体調不良で抜ける場合もあるが、倒れる程でもなければ皆が動員される。

 8. キム・ソンミン (男、44歳、平壌市中区域居住、1999年入韓)

  “10㎏以上のカードを持って練習に通った苦労” 

 中学校 2年生の 1975年から 1977年まで 3年間動員された。5万人が動員された1977年の公演 ‘朝鮮の歌’が記憶に残っている。1978年には7万人が動員されたと聞いた。75年と76年公演には背景隊、77年公演には体操隊に属した。

 ルンラド競技場に入るとカードを乗せる支柱がある。カードの後方に座って前方のコンダクターの手旗によってカードを翻す。数千、数万人がいっぺんにカードを翻すから‘ぱっ’と音がするので、それだけでも外部の人たちは戦慄を感じるだろう。

 小柄な私が10㎏を越すカードを担いで練習に通った苦労を覚えている。カードを作ることを作図と言い、国家から色紙と絵の具などが支給されて各個人で作図する。マスゲ-ムのためには、おやつを支給することまで国家が投資する。

 他の区域で動員された学生たちは軍用トラックに乗って競技場に行くのに、 私が住んだ中区域と牡丹峰区域の学生たちは競技場から近いという理由で、歌いながら行進して行った。それでも40分余りかかった。夏や冬の日、その遠い道を苦労して行進したことを覚えている。

 9.パク・○ミ (女、37歳、平壌市西城区域居住、2002年入韓) 

 “平壌中心部の子供だけ動員する‘忠臣作り’の行事”

 私は平壌郊外に居住していた関係でマスゲームに動員された事はない。中学校の時、東大院区域に住む親戚の家を訪問したことがあったが、休み中にも、従兄弟がマスゲームのために動員されることを見て、幼な心にも率直に羨ましかった。首領様が直接見下ろす舞台に立つと言ったら、北朝鮮ではとても羨ましい事だ。

 従兄弟が軍用トラックに乗りこんで競技場に向かう姿を見ながら、どんなに羨ましかった事か……真夜中にすっかり疲れて帰って来たが、今日は何の糖菓類を食べたという自慢話を聞くと羨ましくてわあわあ泣いたのを覚えている。「私たちもここで生活しよう」とお父さんに駄駄をこねたものだ。

 今振り返って見れば北朝鮮のマスゲームは子供達の魂を奪う行事ではないかと思う。平壌でも中心区域の子供達だけ動員して特権意識をいっそう強化させ、肉体的訓練にもなって ‘忠臣作り’の行事にもなる。お金を支払って、そんな行事を見に行く人々がいるなんて嘆かわしい。

 10.キム・スンホ (男、36歳、平壌市平川区域居住、2002年入韓) 

 “訓練に参加しなければ 「平壌から追放する」との脅し文句”

 南韓の人たちは高いお金を出してアリランを見物し、とても立派だと言うが、その中には涙でごっちゃになった子供達の疲れた悲鳴が潜んでいる。

 6ヶ月前から行事を準備する。公演種目を完成するために指導員たちは酷く罵りながら、数十回ずつ繰り返し動作をさせる。訓練が終わって家に帰る時は全身がだるくなって夕方には足が震えてまともに歩くこともできない。

 訓練に参加しなければ行事指導員たちが親に知らせて、それでも出なければ党組職に通報し、地方に追放する。親たちは平壌から追放されることを心配して、子供たちが大変だということを知りながらも送り出す。平壌の子供達は訓練をすると勉強もできなくなり、大学にも行きにくくなる。

(記者グァックデズング big@dailynk.com )

(記者ハン・ヨンチン hyj@dailynk.com )


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