善良も一種の薬

小さい頃の事だ。母と同年代で、周おばさんという隣人がいて、とても優しい人だった。当時、我の家は特殊な身分=「黒戸」(共産政権から批判対象に指定された階級身分)だったため、私たちは多くの人から見下されていた。しかし、周おばさんは違い、私たちを尊重してくれたし、度々当時では命のように大切だった糧票(食糧配給券)と油票(油配給券)を分けてくれた。これはとてもありがたいことで、私たちは心から感謝していた。

 ある日、周おばさんは突然重病に罹り、病院で診察してもらったところ、何と肝だった。医者はもう治療のしようがないと考え、彼女に家で死を待つように言った。当時、周おばさんを見舞いに来る人は絶えることなく、私も母と一緒に1キロの黒砂糖を持って見舞いに行った。周りの人は皆涙を浮かべて別れの準備をしていた。

 それから半月後、周おばさんは突然病床から降り、もらったものを全部皆に返しはじめた。各家に行くと、彼女は「私は間もなく死ぬのだから、こんな良いものを食べるのは無駄です。皆さんが食べたほうが良いでしょう」と話していた。彼女が我が家に黒砂糖を返しに来た時、2本の缶詰と一緒に持って来た。母は受け取ろうとせず、言い争いにまでなった。周おばさんが帰った後、母は涙を流しながら菩薩に拝んだ。「菩薩様、目を開けてください。周お姉さんは本当に良い人です。良い人をどうしてこんな災いに遭わせるのですか」

 母がお祈りしたからかどうか分からないが、半月後、周おばさんの病気はよくなってきた。彼女は、凄く痩せていたが、また昔のように私たちの前に現れ、元気いっぱいであった。医者は、みな驚いて検査をしたところ、なんと肝癌が小さくなっていた。そして、三年後、肝癌はすっかり消えて、彼女は今でも健康に暮らしている。

 それから数年後、私は医者になり、この事を考え始めた。私は多くの資料を調べ研究した結果、このような結論を得た。癌細胞も栄養分が必要で、もし栄養が十分であれば、体の抵抗力も強くなるが、癌細胞の成長も同時に速くなる。しかし、周おばさんは病気になった後、食事も惜しんで、ほとんど絶食していたので、栄養が得られなくなった癌細胞は餓死した結果、周おばさんの病気は良くなった。ある日、私は母に周おばさんのことを話し、医学的に周おばさんの治癒原因をあれこれと分析していた。すると、母は長く沈黙した後、「善良も一種の薬だ」と話した。

 なるほど、私はなぜ思い付かなかったのか。医者になった私は、母の話を違和感もなく受け入れた。善良は確かに一種の薬で、病気を治すことができ、奇跡を起こすこともできるのだ。昔から「善い人には良い報いがある」というのも、この意味ではないか。その後、私は世の中の多くの奇跡はいずれも善良に結び付くものだと気づいた。
 

(翻訳編集・李頁)