「文化大革命」発動から40年、中国が払った代償

【大紀元日本5月27日】2006年5月16日、毛沢東が「プロレタリア文化大革命」を発動して40周年になる。10年続いた文革の動乱では大量の人が死亡し、中国の文化、伝統はことごとく破壊された。

1966年5月16日、中国指導者・毛沢東は「資産階級」が共産党内部に侵入したと警告し、若者らに権力を奪取するよう呼びかけた。毛沢東の呼びかけに応じ、急進的な若者数百万人が「紅衛兵」となって、武力闘争を展開し、全中国を動乱に陥れた。この動乱で、数千万人が死亡し、数百万人が暴虐に遭い、無数の中国文化と歴史遺産が破壊された。

今日、毛沢東が文化大革命を発動させた動機についての議論が活発である。当時、この革命は巨大な社会実験であり、中国の旧い社会を粉砕し、廃墟から新しい社会を作り上げる試みだと多くの人々が思っていた。しかし、現在では研究者の多くが、毛沢東は文化大革命を看板にして、事実上は党内の政敵を駆逐し、中国の最高指導権を奪還したかったのだと分析している。

毛沢東の目論見は成功したが、その引き換えに中国は大きな代償を払うことになった。動乱が激しさを増す中、中国青年数百万人は農村に行き、貧農・下層中農に学ぶ苦しい過程を経なければならなかった。中国青年の農村への「下放」は10年以上続き、専門知識を持つ人材の育成は大きく遅れた。一部の人はいまだ農村に残されている。

中国共産党はすでに「文化大革命」と毛沢東の文革での役割について結論を出しているが、政府は依然として文革10年を禁忌とし、公開討論を禁止している。

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