四方から楚の歌が聞こえてくる。(lightsource / PIXTA)

中国共産党は、すでに世界最大の「汚職党」・「腐敗党」

四方から楚の歌が聞こえてくる。すなわち、敵の中に孤立して、味方が全くおらず、周囲は敵ばかりで味方が消え、孤立無援なのだーー。

中国秦代末、楚の項羽の軍は、垓下で劉邦(のちの漢の高祖)に包囲され、垓下の城壁に篭城することになった。兵は次第に少なくなり食料は尽きてしまった。そのとき、劉邦は深夜、四方を取り囲む漢軍に楚国の歌を歌わせた。

項羽はそれを聞いて、

「漢はすでに、楚の地を全て自分のものにしたのだろうか。敵陣に楚の人が何と多いことか。楚の民はもはや漢軍に下ったのか」

と驚き嘆いたのだ。

項羽はこの垓下の戦いで大敗し、四面楚歌の中を脱するも、故郷の江南を目指したが、長江(揚子江)北岸の烏江で漢軍に追いつかれ、乱戦の中自害して果てた。一方、劉邦はその後、中国全土を掌握し、漢を建国し、高祖としてその名を歴史に轟かせることとなる。

今日の中国共産党は、すでに世界最大の「汚職党」・「腐敗党」になってしまった。倫理と道徳はひどく破壊され、偽商品が氾濫し、売春婦はいたるところで徘徊し、麻薬もまた出回り、役人と暴力団は結託し、暴力団が社会に横行している。四億人以上の人が脱党し、共産主義を本気で信じる国民はもはや一人もいない。中国共産党はまさに末期なのだ。

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