ファンタジー:個人タクシー「金遁雲」の冒険独白(その4中編)
【大紀元日本6月27日】博士の自宅は、日本の高級住宅街である田園調布の一角、宝来公園の近辺にある路地裏にあった。あたりの西洋風の豪邸とは裏腹に、それは瀟洒な日本式の家屋、もっとはっきり言えば「つぶれそうな」平屋であった。博士宅に着くと、自宅にあがるように誘われたので、遠慮なくお邪魔することにした。すると、夕暮れになり、そろそろ暗くなりかけてはいるのに、電気は点けているのだろうか、部屋が全般的に暗い。恐らくは節電のためだろう・・・「では、お昼をご馳走になったので、お返しに夕飯をどうぞ・・」と言うので、ご相伴に与ることにした。
どうも奥さんの姿が見えないが、四畳半位の和室で待っていると、驚いたことに博士が押入れの戸を開けると、そこには惣菜を入れた後のポリ容器が堆く蓄積されていた。「このポリ容器もねぇ・・石油から出来ているんだけど、その資源は日本のものでなくて、中東の油田から汲み出したものなんだ・・だから大事にしないとね・・」と言って、このポリ容器を食器として永代使用しているのだ。日本人から食事のご相伴にあずかるのは始めてだが、ポリ容器に入った玄米飯に胡麻塩が少々、これまたポリの湯のみに入った味噌汁にヌカヅケの漬物、昆布茶という献立だ。なんという、質素さだろう。博士は、奥から糸をやたらに引く豆を持ってきた。それが異様に臭い。香港の「臭豆腐」顔負けの臭さだ。「これは、納豆と言って、とても体にいいんだよ!」。
先生と、薄暗い部屋で差し向かいに「和食?」を摂っていると、これが意外に滋味であることが分かった。ふと左手に目をやると、先生お手製の霊廟があって、そこに奥さんらしい遺影が飾られていた。まだ若い頃の写真なのか、ほっそりした細面の美人だ。先生はそれに気付いたのか、「家内はねぇ、ちょうどバブルが終わる頃に亡くなったんだ・・・若い頃は、細面の才色兼備の自慢の女房だったんだが・・・ちょうど、日本がバブルに差し掛かる80年代の後半くらいから過食症に罹ってねぇ・・・ついには肥満を拗らせて糖尿病の合併症で死んでしまったんだ・・・」。あたりは、高級住宅街らしく表には車一つ通らない静けさだ。それが、いっそうしんみりとした情感を煽り立てる。