一歩退けば、天地が無限に広がる

【大紀元日本1月13日】人は、心の原則を堅持し、精神の深みにある気高さを守るべきであって、圧力に屈したり、物質的利益を貪ることによって、簡単に妥協したり、自分の良心を売ったりしてはならない。しかし、個人の名利と物質的利益が損なわれた時、あるいは個人の利益のために他の人と対立した時、もし大きな度量で一歩退くことができれば、それは気が弱いのではなく、大きなの心の現れだと言えるだろう。

古人は、「一歩退けば、天地が無限に広がり、一時我慢すれば、風が収まり波が静まる」と言った。原則に反しない問題、あるいは自分が得るべき物質的利益に関して、もし寛容な心で他人の過ちに対処できたなら、戦いを友好と化するような喜びを得られるであろう。他人の過ちに対しては、もちろんそれを指摘する必要があるが、もし寛大な心で他の人を許すことができれば、自分の精神世界はもっと素晴らしいものになるはずである。

「一歩退けば、天地が無限に広がる」ということは、小学生でも知っている道理であるが、現実生活の中では、往々にして多くの人がこの簡単な道理を忘れてしまっている。中国の古代に次のような話がある。

清河の胡常と汝南の崔方進が一緒に経書を研究していた。後に胡常は役人になったが、名誉の点では崔方進に及ばなかったため、胡常はいつも崔方進の才能に嫉妬し、他人との話の中でよく崔方進の悪口を言った。

崔方進は、これを聞いても、「目には目を」では対処せず、逆に譲歩する方法を考え出した。毎回胡常が弟子を集めて経書を解説する時に、崔方進は積極的に自分の弟子を遣って、胡常に教えを請わせ、誠心誠意、真面目にノートを取らせた。そのうち、胡常は崔方進がわざわざ自分を推賞しているのだとわかり、心中とても落ち着かなかった。それ以来、胡常は官界で崔方進を貶すことを止め、かえって褒めるようになった。崔方進の意図的な譲歩の知恵によって、二人は敵から友に変わったのである。

また、明朝の正徳年間に、朱宸濠が造反した。王陽明が兵を率いて征伐し、朱宸濠を捕らえて、朝廷のために大きな功労を立てた。しかし、当時正徳皇帝に寵愛されていた江彬は王陽明の功績をとても嫉妬し、彼が自分が功績をあげて出世するチャンスを奪ったと思い込んだ。そこで、方々で「最初、王陽明は朱宸濠とぐるで、後に朝廷が兵を出して征伐すると聞きつけると、自分が助かるために朱宸濠を捕まえたのだ」と流言を散布した。

王陽明はこの噂を聞きつけると、総督の張永と相談して、「一歩退いて、朱宸濠を捕まえた功績を譲り渡したなら、不必要な面倒を避けることができる。もし、このまま堅持し続け妥協しなければ、江彬らは「窮鼠猫をかむ」の如く、天理に背く事をするかもしれない」と言った。そこで、王陽明は朱宸濠を張永に渡して、改めて皇帝に、「朱宸濠を捕まえたのは総督と士兵の功績だ」と報告させた。その結果、江彬らは何も言えなくなったのである。

王陽明は病気と称して、浄慈寺へ修養に行った。張永は朝廷に戻ると、王陽明の忠誠と、功績を譲って災難を避けた気高い行いを、大いに褒めた。正徳皇帝は事の経緯を知ると、王陽明への処罰を解いた。

現実社会での生活では、進取の精神で努力し、たゆまず堅持するということは、明らかに肯定されるものであるが、複雑な人生の中では、勇敢に戦う必要があるだけでなく、引き下がるということも必要である。譲歩は機転であるだけでなく、耐え忍ぶ気力と粘り強い意志の現れでもあるのだ。一時の我慢は狭い人生の道を無限に広げることになる。

(明慧ネットより)

(翻訳・木子)