【神韻芸術】神韻の演目の結末は美しい=ロンドン作曲家

【大紀元日本3月1日】神韻芸術団は2008年2月24日、満員のロンドン王室音楽ホールで最後の公演を行い、神韻芸術祭の英国公演が円満に閉幕した。

ロンドンは世界トップレベルの大都会であり、ここにある劇場は米国ほど大きくないが、公演の最盛期には毎日おおよそ200公演も行われる。神韻芸術団の公演が行われた王室音楽ホールは1年半をかけて内装を行い、このほど再開したばかりである。ロンドンでは、王室音楽ホールは座席数が最も多く、音響効果も抜群である。

歌手であり作曲家でもあるビッド・ガラン氏は、22日(金)の初公演を鑑賞したが、24日、王室音楽ホールにふたたび足を運び神韻芸術祭を鑑賞した。ガラン氏は何に引かれて神韻芸術祭公演を2度観たのであろうか。

ガラン氏によると、2度の鑑賞によって、公演の内包をより深く理解することができ、2回チケットを買った甲斐があったという。初公演は彼に非常にいい印象を与えた。音楽は音楽家にとって命のようなものなので、彼は神韻の公演からなにかを学びたかった。金曜日の公演より、日曜日の公演の方が観客の反応がより熱烈で、司会者と観客とのコミュニケーションも前回よりさらに多かったという。

歌手で作曲家のビッド・ガラン氏(大紀元)

魂の旅

ビッド氏は、この公演は神聖だという。彼は教会に行っているし、奥さんが日本人なので日本の宗教にも触れていた。この公演はきわめて深い内包を示しており、自分の生命や死後の生命、不滅のことなどを考えさせられた。彼は、この公演から他宗教に対する包容性を見つけた。演目の多くは仏教の内包を示しているが、道家のものや西洋の天国の天使などもある。「人間として、信仰を選ぶ自由があるべきだ」とし、彼は公演で精神面も伝えていることを絶賛している。信仰は人間にとってとても重要である。なぜなら、現代人は非常に迷っているからだと述べている。「私の友人たちは無神論者であるが、公演の音楽や舞踊が非常に美しいので、この公演が大好きだ」。

善は邪悪を抑制できる

ビッド氏は、「公演は一種の愛の力を伝えている。虐待されている際、怒って反抗するのではない」と語った。クリスチャンの彼は、神韻の公演でこの愛の力を非常に強く感じた。「神韻は本当にこのことが出来上がっていたので、私は非常に感動した」。

光明な色彩の旅

ビッド氏は、バックスクリーンのデザインはとても美しく、色彩が豊富で、かつ色調が明るいと話した。彼のとなりに座っていた人は色彩が明るすぎると言っていたが、このような人はおそらく普段、暗いことや、暴力、抑圧に多く触れており、矛盾、激情、暗黒の公演を多く観ていたので、神韻の美しくて光明な公演に慣れていないのだろうと、彼は考えている。しかし、ビッド氏は神韻を観れば観るほど、神韻が光明と希望をもたらしていると感じ、考えれば考えるほど独特な美を発見できるのだという。

至上の美の旅

ビッド氏は、神韻の美のもう一つの形式に言及した。たとえば、死ぬことは人間にとって恐怖で暗黒のことであるが、「神韻の演目の中で、結末はいずれも美しいもので、死ぬことも例外なしだ」。彼は、神韻が成功した要因を、「この公演を演出した監督は、非常に素晴らしい方法で演目の内包を表し、加えてダンサーたちがハイレベルの舞踊技巧を備えていたからこそ、こういった素晴らしい効果が得られたのだ」と考えている。

文化に対する真摯な愛

ビッド氏は「この公演で真摯な文化的なものを感じた。出演者は芸術に対して真摯な愛をもっているからこそ観客を感動させ、観客と役者との間にブロックがなくなったのだ」と語った。

舞踊の動作は精緻で繊細

ビッド氏は「舞踊は本当に素晴らしい。公演は繊細、精緻、精確、厳密に作り出されたものだ」と語った。

舞踊の表現形式

ビッド氏はまた次のことにも言及した。「神韻が示そうとするのは、超宗教的で普遍的な価値観である。アメリカ憲法で言うように『人間は快楽と自由を求める権利がある』」。彼は中世の例を挙げた。その頃の人間も信念に頼って苦しくて暗黒な時代を生きてこられた。「音楽と信仰の力は測ることができないものである。友人は無神論者で神様を信じないが、しかし、彼らは音楽に感動させられたのだ」。

ビッド氏は、歌や舞踊を通じて文化を表すことは素晴らしいと思っている。音楽はよいメディアだし、それに忘れられない美しい舞踊を加えれば、人々をつなげることができるのである。もし、より広い範囲で公演を行っていけば、文化を変える作用を果たすことができるに違いない、と語った。

彼は最後に、神韻芸術祭が表しているのは、美麗、光明、希望であると言った。

(記者・李娟、翻訳・小林)