四川大地震:被災地ミルク不足、乳幼児瀕死状態

【大紀元日本5月20日】

生まれてわずか13日の赤ちゃんを見つめる救助された高丹さん(左)(AFP)

四川大地震による被災地は、19日で8日目に入り、瓦礫の下に埋もれた人々の生存が危ぶまれる中、食料や粉ミルクなどの救援物資が届かず、多くの乳幼児が瀕死状態に陥っている。

生存者によると、被災地には乳幼児用の粉ミルクがないという。また、水も不足しているため、オムツを替えられない乳幼児がオムツかぶれになっている。

汶川県映秀鎮のヘリコプター臨時飛行場では、ある老人が生まれて20日足らずの孫を送り出すときに、現場関係者と言い争いになった。老人はメディアに対し、母親は母乳が出ず、赤ん坊は2日間水しか飲んでいないと訴えた。都江堰から映秀鎮へ続く路上では、避難する一部の親たちの乳幼児が瀕死の状態に陥っている。

虹口の潅口鎮建興社区および幸福鎮の救援物資配布センター関係者によると、ここ数日間、救援物資の中には乳幼児用の粉ミルク、オムツなどのベビー用品や、女性用サニタリー用品の供給はないという。

*放置されたままの救援物資、被災者に届かず

情報筋によると、都江堰被災地の救援物資配布センターでは物資が山積みになっているが、16日の統計によると、ミルクの在庫数はわずか670個しかないという。

救援にあたる関係者によると、需要のある場所が分からないため、物資の配布率は非常に低いという。物資配布センターは、物資が必要な場所をいち早く知らせるよう、被災地に駆けつけるボランティアたちに呼びかけている。

情報筋によると、中国各地および海外から空輸されてきた300トン以上の救援物資は、四川省の空港に置かれたままだという。

(翻訳/編集・余靜)
関連記事
7万人の犠牲者を出した四川大地震が12日、発生から13年を迎えた。地震のなか、校舎の倒壊で死亡した児童・生徒の保護者100人は同日、同省都江堰市聚源中学校の跡地に集まり、追悼集会を行った。
四川大地震から12年。当時、大地震で同省都江堰市の聚源中学校で多くの生徒が死亡した。5月12日、子どもたちを失った親は中学校の跡地で追悼集会を行った。地元当局が特殊警察部隊などを投入し、現場で監視に当たった。
2008年5月12日。現地時間の午後2時28分、四川大地震が起きた。
中国西部の四川省自貢市栄県では2月24日から同25日にかけて、マグニチュード(M)4以上の地震が3回発生し、少なくとも4人が死亡した。地域住民はシェールガス採掘で誘発した「人工地震」と信じており、数万人がデモ行進を行い、現地政府に強く抗議している。
8月8日21時ごろ、中国四川省アバ・チベット族チャン族自治州九寨溝県を震源とするマグニチュード7.0の地震が発生。国家減災委員会の推測によると、100人程度が死亡、13万戸の家屋が破損した可能性があるという。国営メディアによると、ケガ人も多数でている。