四川大地震:我が子亡くした親たちが抗議活動、綿竹市市委書記が土下座

【大紀元日本5月31日】四川省大地震の被災地である同省綿竹市で5月25日、同市委書記・蒋国華が震災で我が子を亡くした保護者のデモ行進と直訴を阻止するため、土下座する一幕があった。保護者は土下座されても、決して当局の過ちを許さず、デモ行進と抗議活動が今後も続き、震災中倒壊した校舎の耐震強度問題と当局の責任を追及していく方針である。

同市五福鎮富新第二小学校の校舎は震災の中で倒壊し、少なくとも児童127人が生き埋めになり、死亡した。1989年に建設された校舎は1996年に既に欠陥建造物と認定されたが、当局は何の措置も講じなかったという。5月25日、当局の責任を追及し、政府上層部に訴えるため、保護者らはデモ行進を行った。行進中、同市の市委書記・蒋国華は現場にかけつけ、上層部への直訴を止めるよう何度も懇願したが、聞き入れてもらえなかったため、土下座をしたという。しかし、それでも怒りを収まらなかった保護者らは抗議活動を止めず、校舎問題をさらに追及していく方針である。

震災発生直後、被災状況を上級機関に報告した際、綿竹市関係者は同小学校で127人が死亡したことを言及しなかったことも、保護者らの怒りを買ったと見られている。

抗議の声届かず

四川大地震で少なくとも被災地の7千棟の校舎が倒壊し、1万人の児童が生き埋めされ死亡したと見られている。学校の被害状況の詳細はまだ公表されていない。震災後、子を失った保護者らは、既に数回のデモ行進を行い、校舎の手抜き工事に対する不満をぶちまけた。

その中、教育部は26日、震災救助の模範をみならうキャンペーンを展開すると発表した。この決定は社会各方面から批判され、当面の急務は模範を打ち立てることではなく、なぜこれだけの校舎が倒壊し、多数の教師と生徒が死亡したのか、その原因を調査すべきだという声が上がっている。

(翻訳/編集・高遠)
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