四川大地震:北川県で消毒剤が自然発火、百人近くが呼吸困難と嘔吐

【大紀元日本6月2日】中国四川省北川県擂鼓鎮で3日連続、消毒剤自然発火事件が発生した。5月30日午後、北川中学の校門付近で漂白粉が自然発火し、百人近くに呼吸困難や嘔吐などの症状が現れた。

「広州日報」によると、四川大地震で被害の大きかった北川県の擂鼓鎮で30日午後3時35分前後、突然道路が濃い白煙に包まれ、さらに風向きに沿って北川県の街に向かって拡散していったため、被災地区の人々は鼻を覆って逃げだした。

自然発火を起こしたのは被災地で使用する消毒剤のジクロロイソシアヌル酸ナトリウムと漂白粉などの粉剤で、あわせて十数袋、重さ約1トンだった。これらは自然発火後、塩素を発生させ人体に有害である。

現場の防疫作業員は、これはすでに擂鼓鎮で3度発生していると話している。

5月28日晩、擂鼓鎮は突然の大雨に見舞われ、救災指揮部の物資置き場にあったジクロロイソシアヌル酸ナトリウムと漂白粉などが雨に濡れ自然発火を起こした。多くの現場運搬員に催涙、強烈な頭痛や咳などの症状が現れた。

翌29日午前8時過ぎに擂鼓鎮で消毒用の漂白粉が置いてあった小屋に雨水が浸入し、化学反応を起こして濃い煙が発生したため周辺の2千人以上が緊急避難した。この取り除き作業中、61人の兵士が塩素中毒にかかり、緊急に病院に運ばれ手当てを受けている。

事件発生時、同鎮の倉庫には少なくとも数十トンの消毒剤が貯蔵されていたという。前に起きた2回の自然発火の後、現場にあった大部分の関連薬品は、29日午後に付近の旧工場の廃屋の中に移された。しかし、残っていた1トン前後の薬品は処理が間に合わなかったため、30日に自然発火した。

(翻訳・市村)
関連記事
7万人の犠牲者を出した四川大地震が12日、発生から13年を迎えた。地震のなか、校舎の倒壊で死亡した児童・生徒の保護者100人は同日、同省都江堰市聚源中学校の跡地に集まり、追悼集会を行った。
四川大地震から12年。当時、大地震で同省都江堰市の聚源中学校で多くの生徒が死亡した。5月12日、子どもたちを失った親は中学校の跡地で追悼集会を行った。地元当局が特殊警察部隊などを投入し、現場で監視に当たった。
2008年5月12日。現地時間の午後2時28分、四川大地震が起きた。
中国西部の四川省自貢市栄県では2月24日から同25日にかけて、マグニチュード(M)4以上の地震が3回発生し、少なくとも4人が死亡した。地域住民はシェールガス採掘で誘発した「人工地震」と信じており、数万人がデモ行進を行い、現地政府に強く抗議している。
8月8日21時ごろ、中国四川省アバ・チベット族チャン族自治州九寨溝県を震源とするマグニチュード7.0の地震が発生。国家減災委員会の推測によると、100人程度が死亡、13万戸の家屋が破損した可能性があるという。国営メディアによると、ケガ人も多数でている。