英国バイリンガル子育て奮闘記(28)

【大紀元日本3月29日】

自分の文化が消えていく… (1995年)

娘をバイリンガルで育てることに決めてから、無我夢中で一つの概念に二つの名称があることを示してきた。全くゆとりはなかった。自分がリラックスしたら、その時点で日本語は消えると確信していた。

言葉がなくなれば、文化も消滅する。母の友人が作ってくれたという立ち雛も、3月3日の「ひな祭り」に飾るという常識を誰が伝えるのだろうか?長年の民族伝統が私の代で完全に途絶えてしまう。異文化にさらされることで、東京でアメリカナイズされた生活に浸っていた自分からは予想もしなかった、自己民族への執着がむくむくと頭を持ち上げてきた。

世界の民族闘争なども、この辺の執着からくるのだろうか。どうしても自分の民族を死守したいというやむにやまれぬ普通の人々の気持ちを、指導者が利用し、煽り立て、戦争になるのだろうか。

こんな中で、一冊の本に出会った。題名は覚えていないが、バイリンガル関係の記事での推薦本で、オーストラリアの小さな島に住む夫妻が、子供をバイリンガルに育てることにした体験談だった。国際結婚ではなく、夫が言語に深い興味を寄せているドイツ語の教授で、子供達にドイツ語だけで接することにしたのだ。

ドイツ語のネイティブでない父親が、バイリンガル教育を試みているため、自己の民族への執着が見え隠れすることなく、自分を媒介として外国語を子供に習得させることが可能だということを示してくれた。

別のバイリンガル関連の記事では、ヨーロッパの田舎で、ある言語の最後の語り手となった二人が結婚し、言語・文化を存続させたていくため、子供をたくさん生み、自分たちの言語を家庭内で使い、言語の消滅を食い止めようとしているというケースが紹介されていた。

地元の英国コーンウォール州では、ケルト語の一派とされるコーンウォール語を使った最後の人間が、18世紀の末に亡くなり、生きた言語は完全に途絶えた。20世紀初めに復活の動きが現れ、いろいろな説が飛び交う中、ようやく語彙や文法の整理がついてきたようだ。一度、化石になってしまった言語に息を吹き込むことは、かなりの努力を要する。

(続く)