≪縁≫-ある日本人残留孤児の運命-(88) (第一部完)
文化大革命の間、王建校長はすでに異動していて、寧安一中を離れていました。しかし、寧安一中の教師の中には、王建先生を槍玉にあげて壁新聞を書き、「階級的な立場に問題がある」と批判し、「日本の残留孤児が一等奨学金を受けるのを承認した」として、彼のことを親日派、日本の犬などと言ったのでした。
私はその話を聞くと、日曜日の学校に人が少ない時に、わざわざ一人で寧安一中まで壁新聞を見に行きました。校舎の中に入ると、廊下の両側の目立つ所に、賈子輝先生が書いた壁新聞が掲げられていました。王建先生を批判するとともに、私のことを日本皇軍の後代だと侮辱していたのです。
当時、私も日常的に、学生や同僚たちから吊るしあげられていたので、これに類すること、あるいはこれよりもっと酷くて辛辣な批判には、すっかり慣れており、辛くも悲しくもありませんでしたが、ただ王校長にだけは申し訳ないと思いました。
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