1分で読める故事成語(大紀元)

推敲(すいこう)

【大紀元日本4月11日】

「人生は<死に至る>戦ひなることを忘るべからず」

これは、芥川龍之介が服毒自殺をするに当たって、子供たちに残した「わが子等に」と題する遺書の一節である。直筆の遺稿には、あとから「死に至る」の文言が加えられた跡が見られ、推敲を重ねる作家として知られる芥川が、死にゆく間際まで文章を練っていたことがわかる。

樋口一葉、夏目漱石、司馬遼太郎……、文豪と言われる作家たちの、読む者を惹きつけてやまない洗練された文章も、実は何度も何度も推敲を重ねた結果出来上がったものらしい。直筆の草稿がそれを物語る。

「推敲」とは、文章を十分に吟味して練り直すことで、唐の詩人・賈島(かとう)の逸話から生まれたと言われる。

賈島はある日、ロバに揺られながら詩を作っていた。「僧は<推(お)す>月下の門」にしようか、いや、「僧は<敲(たた)く>月下の門」のほうがいいかもと、推したり敲いたりの動作をしながら考えているうちに、偉いお役人の行列にぶつかってしまった。すぐさまその行列の主人の前に引き立てられた賈島が事情を説明すると、主人は怒るどころか、「それは<敲く>の方がいいだろう。月下に音を響かせる風情があって良い」と言った。その主人とは、長安の都の知事であり、詩人としても名高い韓愈(かんゆ)だったのである。

(『唐詩紀事』巻40より)

(瀬戸)

関連記事
「類は友を呼ぶ」は、もともと気の合った者や似た者同士は自然に寄り集まるという意味ですが、後に、悪人が互いに手を結び、悪事をなす比喩としても使われるようになりました。
南宋の愛国詩人とされた陸游(りくゆう)は強硬な対金主戦論者であったため、官職を罷免され、故郷に戻りました。 ある日、遠足に出かけた陸游はどんどん先へと歩いていき、いつの間にか 人気が全くないところへ来てしまいました。斜面の上から見渡せば、前に川が流れ、山が立ち並び、すでに道がありません。
「顰みに倣う」の出典は『荘子』です。著者の荘子は道教の始祖の一人とされ、実は、『荘子』の中のすべての作品が荘子のものではなく、多くはその弟子や道教の者たちの作品です。
「投桃報李」は『詩経』「大雅・抑」から来ており、衛の第11代君主・武公が自分を励ますために作成した詩です。
「墨を金のごとく惜しむ」は、一筆もおろそかに書かない、あるいは、軽々しく筆を下ろさないことのたとえで、後に洗練の努める意として使われます。