【ショート・エッセイ】 「とんぼ玉」の世界史

【大紀元日本1月30日】とんぼ玉とは、人工的に作られた美しいガラス玉のことである。

多くは球形で、糸や紐を通す穴が開けられている。世界各国の用例を見ると、たくさんの玉を連結して首飾りのようにする場合が多い。日本では、古墳時代から奈良天平の頃には同じく連結する使用法が多かったが、近世以降になると、根付にしたり、簪や和服の紐の先端につけるなど、小粋な実用品として一ツ玉で用いるのが特徴的である。

天然の玉(ぎょく)や瑪瑙ではないので、原材料に希少価値があるわけではない。ただし、そこに熟練した匠の技が加わることによって、ただのガラス玉が宝石にも劣らぬ魅惑の輝きを放ち、有史以来、人々を魅了し続けてきた。

トンボの目(複眼)のようにも見えるので和語では「とんぼ玉」と呼ばれており、日本では、江戸時代を中心に江戸や大阪で盛んに作られた。興味深いのは、このようなガラス玉の美を極める文化は、日本のみならず、ほぼ全世界に分布しており、しかも、紀元前の昔から相当高い技術を確立していたことだ。

金属を溶解するほどの高温は必要なく、それこそ焚き火より少し熱い程度の温度で軟化し、さまざまな色やデザインを表現できるガラスは、その成分を含む砂礫などがあれば簡単に材料を入手できる。やがてガラス工芸は、分業化された社会における職人の腕の見せ所となり、エジプト、メソポタミア、地中海世界から北欧へ伝わるとともに、中国、朝鮮、そして日本などの東洋諸国でも独自の発展を遂げたのである。

大航海時代になると、とんぼ玉は海を越えて世界中に飛んだ。この時、とんぼ玉は高値で取引される交易品であるとともに、新しくもたらされたデザインや色彩は現地のガラス職人を大いに刺激して、さらなる技術向上と文化の交流を促進させた。

主導権を新航路に奪われて衰退した地中海貿易圏が、その起死回生をかけたのもガラス工芸品であった。とんぼ玉を含むベネツィアガラス細工は、17世紀以降、飛躍的に発展し、装飾の巧みさで世界的に有名なベネツィアン・グラスを生んだ。

一方、美しいとんぼ玉の歴史にも光と陰がある。

とんぼ玉の持つ不思議な魅力に、アフリカの原住民が熱狂した。それにより、原材料費がほとんどかからないガラス玉が、奴隷輸入を含むアフリカ貿易の対価物として大量に使われるようになったのである。とんぼ玉でアフリカ貿易を牛耳ろうというベネツィア商人の目論見は、彼らにとっては巨大な「成功」を収めたが、それは人類の陰の歴史の一つとなった。

繰り返すが、日本人がとんぼ玉に寄せる好みは、粋な一ツ玉にある。

野暮ではなく、瀟洒な愛好の形式としては、この程度のこだわりがちょうど良い。

(埼玉S)