【ショート・エッセイ】 みかんの花咲く国

【大紀元日本5月3日】童謡「みかんの花咲く丘」に歌われた、のびやかな風景が好きだ。

みかんと言えばコタツの上に置かれた冬の風物詩のようだが、消費者が冬に味わうために、農家は前年から丹精込めてそれを育てている。

農業の経験はないので、そのご苦労は想像するだけなのだが、特に果樹は虫がつきやすく、品質の良いものを収穫するのは非常に難しいということを、以前どこからか耳にしたことがある。つい素人は水や肥料を大量に投与すればよいと思いがちだが、実際の農業ではむしろ逆の扱いをすることも多いという。つまり水や肥料を極力与えないで作物を「いじめる」農法にすると、作物自身が自己防衛力を発揮して糖度が増し、果肉のしっかりした良いものになるのだそうだ。なるほど農とは、人間の教育にも似て、奥が深い。

温州みかんと書いて、中国音まじりに「ウンシュウミカン」と読むが、中国の地名である温州とは実際的な関連はないらしい。鹿児島県の不知火海沿岸が、日本みかんの主流であるこの品種の原産地であるという。

一方、キンカンやコウジなど中国から伝来した柑橘類も多く、和歌山県を一大生産地として江戸期を通じて盛んに作られた紀州みかんは、この伝来系の品種であった。

紀州出身で紀伊国屋文左衛門という元禄期の豪商が、この紀州みかんを船で江戸に運んで富を得たという「紀文のみかん船」の話がある。難所の熊野灘を大胆に越えた成功物語として、昔は子供向けの偉人伝にもよく載せられていたが、最近の図書はどうであるか寡聞にして知らない。

紀文(現代の同名の企業とは無関係)の場合、みかんのほかに材木やら塩鮭やら貨幣の鋳造やら何にでも手を広げるとともに、幕府の要人に賄賂を贈りまくって取り入り、とにかく稼いだ。ただ彼は、吉原で豪遊する巨万の富は得ても、それを偉業として後世に残すだけの商徳はなかったらしく、異説はあるにせよ、企業家としての社会的貢献はほとんどなさずに終わった。

みかんの花が咲くのは初夏の5月。童謡に歌われたような、遠くに海が見える、明るくさわやかな初夏の野道を、無性に歩いてみたい衝動にかられてしまう。

そんな平穏な里の風景が、一日も早くこの国に復興することを願っている。

 (埼玉S)