1分で読める故事成語(大紀元)

中国の対米プロパガンダに「辟易」【1分で読める故事成語】

【大紀元日本2月7日】

「寒過ぎた中国の対米プロパガンダ」

これはニューズウィーク日本版1月20日の記事のタイトルで、その副題が「胡錦濤の訪米に合わせて一大PRキャンペーンを張ったものの、アメリカ人には意味不明で辟易とするばかり」

中国は、胡錦濤国家主席の1月18日からの米国公式訪問に合わせる形で、ニューヨークのタイムズスクエアの大画面やアメリカのテレビチャンネルで、中国の魅力を伝えるCMを繰り返し流し始めた。ところが、膨大な時間とお金を投じて製作したわりには何を伝えたいのかわからず、アメリカ人は「辟易(へきえき)」しているというもの。

「辟易」ということばは、次の故事に由来する。

垓下(がいか)の戦いで形勢不利となった項羽(こうう)軍は、漢軍の包囲を突破して東城に至った。そのとき、従う者はわずか28騎となっていた。

それに対し、追ってきた漢軍は数千人で、とても脱出できないとみた項羽は、部下に「わしは兵を起こして8年になる。この間、70数戦して、当たった敵は破り、撃った者は従え、いまだ敗れたことがなく、ついに天下を取った。今ここに窮するのは、天がわしを滅ぼすのであって、戦いに敗れるのではない。今日はそのことを諸君に示そう」と言うと、軍を4つに分け、四面を幾重にも囲む漢軍に向かわせた。

そして、項羽自らが大呼して敵陣に馳せ下ると、漢軍はみな風になびく草のようにひれ伏し、ついに敵の一将を斬った。このとき赤泉侯が漢軍の騎将として項羽を追ってきたが、項羽が目を怒らせて怒鳴りつけると、赤泉侯は人馬もろとも驚き、数里も後ずさりしてしまった。(史記・項羽本紀より)

この故事の「数里も後ずさりする」に相当する原文が「辟易数里」。「辟」は「避ける」、「易」は「変更する」ことから、「辟易」とは本来、相手の勢いに圧倒されて道をあけ後ずさりすることを言った。それが、日本語では、冒頭の例のように、「うんざりする」という意味で使われるようになった。避けて後ずさりしたくなるほどに嫌気がさすということからの派生であろうか。

ところで、冒頭の記事によると、タイムズスクエアの映像は、バレンタインデーまでのおよそ1カ月間で8400回流されることになっており、それを見続けなければならないホットドッグ屋台の店員は、しまいに「中国が憎くてたまらなくなるだろう」としめくくられている。

「辟易」を通り越して憎しみが生まれても不思議ではない。

(瀬戸)

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