天安門事件の抗命軍長、22年ぶりに取材に応じる 「後悔していない」

【大紀元日本2月15日】1989年に北京で起きていた学生らが民主化を求め大規模なデモを行った「天安門事件」の際、武力制圧の命令を拒否した、当時中国人民解放軍38軍長軍人の徐勤先氏が、22年ぶりに取材に応じ、自ら取った行動について「後悔はしていない」と発言した。15日付けの香港紙・リンゴ日報は報じた。独裁体制を崩壊させたエジプトや中東の民主運動の影響もあり、改めて同氏の行動が注目されている。

この取材は、14日に偶然実現したものであり、当時の抗命行為に関する記者の質問に対し、「既に過ぎたことであり、悔いはない。やった以上、後悔はしていない」と答えたという。

天安門事件後、同氏は禁固五年の刑に処された。その後の安否については、処刑説や病死説など様々な憶測がなされていたが、今は健康状態は良好であり、行動の制約も無く、北京と河北省・石家荘市を往来して暮らしているという。

当時の資料によると、事件さなかの5月17日、入院加療中の氏のもとに、中央軍事委員会からの「北京戒厳令」が通達され、北京への進軍が命令されたが、氏は軍の北京入りに反対、命令を拒否した。後日、親しい人に「たとえ首を切られても、歴史の罪人になってはならない」と当時の心境を語ったという。

今回のエジプトの民衆運動においても、軍部が中立を保ったことが、独裁体制の崩壊を加速させた要因となっている。このエジプト民衆の勝利が、22年前の人民解放軍による殺戮を多くの中国人に思い出させるきっかけとなった。当局の武力制圧命令を拒否した唯一の軍人として、徐氏の決断が再評価されている。

(翻訳編集・高遠)

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