<赤龍解体記>(7) 「幸福」という新しい政治スローガン

毛沢東の時代から、中共の指導者たちは自分の権威性とその時代の特性を誇示するために、独自の政治スローガンを打ち出してきた。例えば、江沢民の「三つの代表」や胡錦涛の「調和社会の建設」などは、記憶に新しい。その中共が最近また打ち出してきたのが、「幸福」という新しい政治スローガンである。

 幸福論の縁起

 今年の始め、胡錦涛は政協(中国人民政治協商会議)における座談会で、「優れた成績をもって中国共産党誕生90周年を迎えよう」と呼びかけた。その後、中国各地において、また各メディアは競って「中共90周年の誕生日に幸福を捧げよう」運動を繰り広げていった。

 「幸福論」をいち早く明確に提出したのは、「団派」(中国共産主義青年団中央の出身者たちによる派閥)の重鎮で胡錦涛の腹心と見られる広東省のトップ、汪洋である。汪洋は1月6日に「幸福な広東を建設せよ」というスローガンを打ち出して、「幸福省建設」の発明者となる。

 1月20日、新華社通信ネットなど中共の主要メディアが、汪洋の「生産方式の転換と昇級を早め、幸福な広東を建設せよ」という長文を掲載すると、他の中国メディアも一斉に、国民の「幸福感」や「幸福論」を大々的に報道した。

 2月14日、新華社ネットはまた「中国各地の第12次5カ年計画:幸福感とGDPとの共起」という文を掲載し、「幸福省」という広東省のスローガンはすでに全国各地の「幸福大躍進」を促し、幸福感と発展はすでに新しい「民意」になったと伝えた。

 それで、「幸福論」は中国の各地方で一気に湧き上がり、地方官員から、全人代(全国人民代表大会)と政協(中国人民政治協商会議)という「両会」まで、皆がみな「幸福論」を口にし、「幸福な武漢」「幸福な瀋陽」「幸福な山東」「幸福な重慶」などが一斉に出回ってくることになる。

 ■歴史的後退をもたらす「幸福運動」

 この「幸福運動」は右往左往したあげく、次第に「広東型」と「重慶型」に定着し、かつ全国の手本とされた。しかし民間では、いずれの「幸福」パターンも厳しく批判されている。

 「広東型」の幸福には、「三つの負債」と指摘される三つの弊害がある。第一に、巨額の借金をして過剰な建設を行うこと、つまり財政難をもたらす「財政負債型」である。2100億元の借金を背負っても豪華なアジア競技大会を主催したのもその代表的なものである。第二に、広東の「生産方式の転換と昇級」は環境汚染に配慮しないこと、つまり「環境負債型」である。第三に、言論の自由を牽制することによって前記の二項目を確保する、つまり「専制負債型」である。

 「重慶型」の幸福にも三つの弊害あり、「三つの後退」と批判されている。第一に、「反腐敗」をもって、半法治的社会から、あの文化大革命の大衆革命運動の時代に後退したこと。つまり法治の後退である。第二に、世界に向けて開放することから、かつての文化大革命に学び、人々が皆、革命歌を歌ったり革命の演劇を見たりして、毛沢東思想を復活させるように後退したこと。つまりイデオロギーの後退である。第三に、準市場経済から昔の計画経済に経済体制を転換させたこと。つまり経済体制の後退である。

 

 

※    ※    ※

 2012年開催予定の「17大」(中国共産党第17回全国代表大会)で、政治局常務委員に抜擢される可能性が大とされる広東省トップの汪洋と重慶市トップの薄煕来は、競って「幸福論」を唱え、中共の新しい政治情勢を作り、保守反動派とされる李長春や周永康などから力強い支持を受けている。

 しかし、温家宝首相は今年の全人代での政府報告で、すでに政治的スローガンになったこの「幸福論」に1回しか言及せず、それも「改革開放は強国を実現し、人民を幸福にさせるために避けては通れない道のり」という表現の中で述べただけである。そして、この「幸福論」を故意に避けたかわりに、温家宝は同報告の中で71回も「改革」を強調しているのである。

 一方は新しい政治運動を展開する「幸福論」、一方はそれを消極的(あるいは否定的)に扱うことで対抗する「改革論」。中共の権力中枢において、このような温度差がはっきりと生じているのである。

 この「幸福論」と「改革論」との拮抗が、今後どのように展開され、そしていかなる結末になるのか、注目に値することである。

 

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