大紀元/製圖

諸葛孔明の手紙

【大紀元日本4月27日】頭脳明晰、冷静沈着な戦略家として蜀の皇帝を支えた諸葛孔明。彼が息子と甥に送った手紙から、彼の生き様が見えてくる。

息子への手紙:

徳と才能を備える者の行いは、心静かで安らか、精神が集中し、エネルギーのバランスを保つことから来る。人は心と身体を修養し、自分の行いに気をつけ、精進しなければならない。もし人が世俗の名利に淡白でなければ、己の志が見えなくなるだろう。心身が穏やかでなければ、大きな理想を成し遂げることはできない。学習したなら必ずそれを吸収し、能力を高めるには刻苦勉励しなければならない。努力を怠れば、才能と智慧が伸びることはない。もし己の志が明確でなければ、勉学をしても成就することができないだろう。享楽を追及し、怠慢で散漫であれば、精神を奮い立たせることはできない。浮ついて短気な者は、己の気質をコントロールすることができない。彼は年を重ね、志も退化していき、結局、何も成し遂げることができない。最後には社会にとって何の価値もない人間となる。その頃にはやるべき事もなく、自分の小さな世界に閉じこもって、自分が出来なかったことを嘆くのみだ。

▶ 続きを読む
関連記事
1599年に墓が開かれた際、聖セシリアの遺体は腐敗せず、埋葬された時の姿勢を保っていたと記録されています。この現象は「肉身不腐の奇跡」と呼ばれています。
深夜の祈り、祭壇での誓い、そして唯一の「受けるべき一撃」──騎士はどのように生まれ、何を守ろうとしたのか。中世ヨーロッパの壮麗な叙任儀式と騎士道の精神が鮮やかに浮かび上がる一篇です。
聖書から民話、現代の習慣まで──“40”はなぜ試練と変化の象徴なのか。生まれ変わりの節目を示すこの数字の不思議な力を、歴史と文化を横断して読み解く一篇です。
気づけば「無難さ」に合わせて服を選んでいませんか? 服装は自分をどう扱うかを映す鏡。デニム全盛の現代に、装いが持つ本当の意味と、少し背筋が伸びる視点を与えてくれる一篇です。
ドイツで17日、少年時代のヨハン・ゼバスティアン・バッハが作曲した二つのオルガン曲が公開された。長らく所在不明だった作品の披露に、文化相は「音楽界にとって偉大な瞬間」と称賛した