【漢詩の楽しみ】 回郷偶書 (郷に回りて偶書す)

【大紀元日本11月4日】

少小離家老大回

郷音無改鬢毛衰

児童相見不相識

笑問客従何処来

少小(しょうしょう)家を離れて、老大にして回(かえ)る。郷音(きょうおん)改まる無く、鬢毛(びんもう)衰(おとろ)う。児童、相見るも相識らず。笑って問う、客(かく)は何処(いずこ)より来たると。

詩に云う。若いころ故郷の家を離れた私が、年老いてこうして帰ってきた。ふるさと訛りは変わっていないが、鬢の毛はすっかり衰えてしまった。子供たちが私と顔を合わせても、お互いに誰だか分からない。そんな子供が、にこにこしながら私に向かって、「お客様はどちらから来られましたか」と尋ねてきたよ。

賀知章(がちしょう、659~744)の作。長安を訪れた李白を見て、その文才が非凡であるのを見抜き、玄宗に言上した人物としても知られる。そのころの賀知章はすでに80歳過ぎの最晩年で、半世紀にも及ぶ長い宮仕えを終え、故郷の浙江省会稽へ帰ろうとしていた。

詩の場面を想像してみる。長年の勤めを終え、大功を成して帰郷した作者を待っていたのは、一族郎党を上げてのお祭り騒ぎのような歓迎ぶりであったろう。

80歳過ぎといえば、今の日本では珍しくはないが、昔ならば百歳にも相当する長寿であった。長寿とは、儒教世界においては絶大な権威であり、また神仙へ憧れる道教的思考の上でも理想形に近いものとして尊ばれる。

ここで作者に「お客様はどちらから来られましたか」と尋ねた子供は、もちろん作者の親族のなかの子供であろう。子供とはいえ、物心がつく歳になっていれば、一族の最高権威である作者については、周囲の大人から繰り返し聞かされているはずだ。ところが、それを知らなかったとすれば、この子は本当に幼いからということになり、かえってその愛らしく無邪気な様子が浮かんでくる。

自身が若かったころを指す冒頭の「少小」と正反対の結末は、微笑ましくも、非常に深い。

 (聡)
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