道を究めた蝉取りの男

【大紀元日本3月27日】およそ三千年前の『易経』には次のように書かれています。「形而上者謂之、形而下者謂之器 (形よりして上なるもの、これを道といい、形よりして下なるもの、これを器という)」。武術・料理・建築・舞踊・絵画・音楽・書・・・すべての形として目に見える文化(器)には、「道」があります。それは、人が身体的、精神的鍛練を通じて技を磨いていく過程であり、あらゆる現象の中に「道」が息づいています。

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 ある日、孔子が弟子たちを連れて楚の国を訪れた時のことである。一行が林の中を歩いていると、一人の円背(えんぱい)の男が竹の棒を片手に蝉を捕まえている。よく見ると、男はいとも簡単に蝉を捕え、一度も失敗することがない。

 孔子は恭しくお辞儀をし、男に尋ねた。「先生の蝉取りはお見事です。なにか秘訣でもあるのですか?」

 男は、答えた。「お答えしましょう。蝉取りに最適な時期は、5月か6月です。まだ時期が早ければ、あせらずに待ちます。時期が来たら、その時にできるだけたくさん捕えるのです。そうでなければ、また次の年まで待たなければなりません。私が初めて蝉を捕まえ始めた時は、他の常人となんら変わりはありませんでした。何度も失敗したものです。しかし、その後、私は訓練を始めることにしました。身体を動かさずに、竹の棒の先に置いた二つの小さな、まりを落とさないようにする訓練です。私はこれを数か月訓練しました。すると、蝉取りの腕前はだいぶ上達したのです」

 男は続けた。「その後、私はまりを三つに増やし、訓練を続けました。すると、蝉取りで失敗する回数が劇的に減りました。その後、私はまりを5つに増やして訓練することに決めました。それができるようになると、蝉を捕えることは、まるで地面から物を拾うかのように簡単になりました。それ以来、蝉取りに失敗したことは一度もありません」

 「すばらしいですね!」孔子は賛嘆した。

 男は更に続けた。「蝉を取る時、私の身体はまるで棒きれのように一切の動きを止めます。上げた腕は、まるで小枝を手にしているかのように軽やかです。宇宙は広大で、私がいかに多くの事物に取り囲まれていたとしても、私の目には蝉の羽しか映りません。私の頭と身体は静止し、何ものにも動かされません。じっと蝉だけに集中し、なにものも私の注意を反らすことができません。このような状態になった私が、蝉取りに失敗することなどあり得ますか?」

 孔子は感心し、振り向いて弟子たちに言った。「心を用いて一つのことに高い集中力で臨むなら、その技は神の域に達することができるだろう。このご老人は、すでにその域に達している」

 孔子は続けた。「貴方達は、よい食事にありつき、立派な服装をしているが、この法則を知っているでしょうか。人は、まず名利に対する執着心を排除しなければなりません。そうして初めて、そのような神の域に達することができるのです」

 

 

 (翻訳編集・郭丹丹)