孔子「子どもではあるが、君は私の先生になれるよ」(shutterstock)

孔子が認めた七歳の子ども

孔子が弟子たちを連れて泰山に向かった時の話である。弟子の子路が馬車を引き、孔子は馬車の中から外を眺めていた。あるを通り過ぎようとしたとき、突然道端から子供が飛び出して馬車の前に立ち塞がった。「あなたたちは、礼儀というものを知らないのですか」と子供は意気込んで言った。

孔子は馬車の中から、穏やかに言った。「言ってごらんなさい。私たちのどこが礼儀がなかったのかな?」

「もし目の前に一つの村があったとする。馬車は村沿いを通るのか、それとも村が移動して馬車に道を譲るのか?」

「もちろん、馬車が村に沿って通るべきですよ」と大人たちが言った。

子供はさらに二歩前に進んで言った。「ほら見てごらん、今、目の前に村があるでしょう」。孔子が見てみると、確かにニ十歩ほど離れたところに、泥で作られた小さなお城がある。お城は細部までしっかりと作られ、立派に出来上がっていた。この子どもの腕前が相当なものであることが伺えた。

孔子は感動し、馬車を降りて微笑みながら言った。「確かに君の言う通りだ。私たちは君の作ったお城が見えなかった。礼儀がなっていなかったことを許してほしい」と言い、馬車をお城に沿って通らせた。孔子は子どもの名前と歳を聞き、子どもに話しかけた。「さきほど君が言ったことは理に適っているね。子どもではあるが、君は私の先生になれるよ」

(翻訳編集・淳萌)

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