意外と知らない

豆腐の由来 

冬にぴったりの鍋料理に欠かせない豆腐。柔らかくてつるっとした食感は、どんな食材にも合います。こんなに美味しいものを最初に作ったのは誰でしょうか。二千年前、中国前漢の時代の淮南王(わいなんおう)・劉安(紀元前179年 – 紀元前122年)によって発明されました。

劉安(りゅうあん)は漢高祖(劉邦)の孫・劉長の子で、汪汲氏の《事物原會》には「劉安が豆腐を作る」と記載されています。《本草綱目》にも「豆腐の作り方は淮南王劉安に由来する」という記述があります。

劉安が豆腐を発明したのは偶然でした。当時、劉安は道術に夢中になり、大金を惜しまず各地の方術の士を集め、煉丹の本を書きあげました。彼らは清らかな湧き水で豆を挽き、液を作り、その豆の液で丹を養っていました。しかし、意図していた仙丹(不老不死の霊薬)を煉ることはできず、豆の液が石膏(硫酸カルシウムが主成分)や塩と化学反応を起こして、代わりに「豆腐」が出来上がったのです。

方術の士達はこの真新しい産物を口にすると、そのおいしさを知り、改良して「菽乳」(しゅうる)と命名しました。後に、「豆腐」と改められました。それ以降、豆腐は徐々に民間で広まったと言われています。豆腐は中国だけでなく、近隣諸国にも伝えられました。

豆腐が日本に伝わった時期については様々な説があります。一説には、鑑真和尚(688年‐763年)が、天宝12年(西暦754年)に日本に渡り、豆腐の作り方を伝えたとされています。

一方、著名な中国学者・青木正兒によると、豆腐が日本に伝えられたのは室町時代で、唐に留学した僧侶が持ち帰ったと《唐風十題》に記述されているそうです。室町中期文安元年(1444)の《下學集》には「豆腐」という言葉が記載され、《宗長手記》には、大永六年(1526)、いろりで豆腐を串焼きにしている様子が描写されています。

(翻訳編集・紫蘇)