【紀元曙光】2020年4月23日

敬天愛人は、西郷隆盛の言葉を録した『南洲翁遺訓』のなかでも、特に有名な一句である。
▼「天を敬い、人を愛す」と訓読してよいが、西郷の文脈では、人材を育てる学問の目的として「敬天愛人」が使われている。意訳すれば「謙虚な態度で、自分にうぬぼれるのではなく、他者を尊重する」であろうか。
▼本来の敬天思想は、もちろん西郷のはるか以前からあり、仏教および儒教を中心とする東洋思想のなかで根幹的な概念の一つである。端的に言えば、人間よりもはるかに高い次元にある存在(神や宇宙)を「天」として崇敬することを言う。ここに最高レベルの東洋的道徳が、西洋人のゴッドを仰ぐが如く、生起することになる。
▼天は、人間の善悪を見る。為政者が善政を行えば、麒麟(きりん)や鳳凰(ほうおう)などの瑞獣(ずいじゅう)を現して吉祥を知らせる。しかし悪政を為せば、恐るべき天変地異をもたらし、為政者とその加担者に天罰を加えるという。
▼1970年、毛沢東は米記者のエドガー・スノーに向かい、「私は、和尚が傘を差す(和尚打傘)だよ」と述べた。和尚は無髪(無法と同音)。傘を差せば「天が見えない」から無天。つまり「無法無天」で、天に唾して恥じぬほどの極悪非道を為すことを言う。事実、敬天の対極にある大悪政を、毛沢東と共産党はやった。8千万とも言われる人民を悶絶死させた。
▼近日、武漢やハルビンを覆い尽くした、あの鉛色のスモッグは一体何だろう。重金属がそのまま気化したような、恐るべき毒気を含んでいるに違いない。天を激怒させた報いが、ついに来たか。