【紀元曙光】2020年8月8日

(前稿より続く)それは武士道に恥じぬ戦いぶりでなければならない。
▼その部分だけを切り取れば、戦闘ではなく、尋常なる試合なのだ。ゆえに卑怯と臆病を恥として、これを最も忌む。極言すれば、権謀術数が勝敗を決める戦国乱世においては、「武士道」は全く用をなさない。それとは別の、剣技を究める武芸者の世界で、その萌芽が見られたのみである。
▼また脱線する。小欄の筆者は、歴史小説が大好きだが、もしも自己の人生の基盤となった小説を一つ挙げるとすれば、司馬さんの「竜馬」ではなく、吉川英治『宮本武蔵』を挙げるだろう。沢庵和尚は、暴れ者の武蔵(たけぞう)を千年杉に吊るし上げ、「それだけの力を、国家のためとまでは言わん、せめて他人のためにそそいでみい」と一喝する。
▼それを読み、武士道の神髄は人間教育であることを、筆者は中学生の頃に知った。もちろん小説であるから、そこに描かれていたのは史実の宮本武蔵ではないが、気弱な少年を奮起させるに十分な魅力があった。忠臣蔵の芝居を見て熱狂する民衆と大差ないにせよ、武士道のかたちは、筆者の脳裏に見えたように思う。
▼武士がいなくなった明治の新渡戸が説く『武士道』は、その読者が主として西洋人であるため不思議な言い回しに感じる部分もあるが、総じて興味深い。新渡戸は、武士道の源泉を一つに絞ることはせず、さまざまな思想の複合体であると考えた。
▼新渡戸曰く「仏教は武士道に運命を穏やかに受け入れ、運命に静かに従う心をあたえた。(中略)常に心を平静に保つことであり、生に執着せず、死と親しむことであった」。
(次稿に続く)