【紀元曙光】2020年8月12日

(前稿より続く)新渡戸『武士道』を、切り取って論述することは適切でないと、自戒しながら本稿を書いている。
▼本来は社会の一階層にすぎない武士の徳目である「武士道」が、いかにして広く日本人の国民精神となり、宗教に代替しうるほどの道徳教育となり得たか。これを考察するのが、本稿の前半の趣旨である。
▼それに続く後半は、李登輝さんが懸念したように、今の日本人にその武士道精神が、ゼロとは言わぬが誠に希薄になった現状をふまえて、これを取り戻す道を探っていきたいと考えている。中国共産党という悪魔政権が、香港を併呑し、台湾に迫り、東シナ海の日本領を脅かしている今、わが日本政府は何を恐れて、かくも及び腰であるか。
▼幸いなことに日本国民は、普通選挙で政治家を選ぶことができる。無知無能な政治家も有権者が選んだとすれば、私たち国民に責任がないとは言えない。ダメな政治家は、きちんと選挙で落ちてもらおう。大紀元が申すところのダメな政治家とは、即ち「中共に親密な政治家」である。親中は国を滅ぼす。わが日本は、中共なき後の「今よりは、まともになった中国」との間で、時間はかかるが、真の友好を再構築していくしかない。
▼周庭(アグネス・チョウ)さんが、国家安全法を振りかざす香港警察に逮捕されたとき、「重大な懸念を有している。今後とも関係国と連携し、適切に対応していきたい」などと寝ぼけたコメントを発している日本政府ではダメなのだ。世に李登輝さんあらば、さぞお怒りになったに違いない。
▼むしろ日本国民の意識のほうが、今は進んでいるのではないか。(次稿に続く)