【紀元曙光】2020年8月13日

(前稿より続く)新渡戸は、民衆に規範を示した武士道について、次のように書いている。
▼第15章、武士道はいかにして「大和魂」となったか。「太陽が昇るとき、まず最初にもっとも高い山々の頂を紅に染め、やがて徐々にその光を中腹から下の谷間に投じていくように、初め武士階級を照らしたこの武士道の道徳体系は、時が経つにつれて、大衆の間にも多くの信奉者を引きつけていったのである」。
▼確かに、すぐれた規範の実践者がいれば、その影響が大衆に及び、広く社会が感化されていく。戦国乱世に、そうした落ち着きのある社会秩序は生まれなかったが、天下太平の江戸期には可能であった。木版印刷が進んで、書物が爆発的に普及したことも日本にとって幸運だったろう。民衆は、まだ日本国民とは言えなかったが、本を読んで勉強する素地は、武士や僧侶だけでなく、大衆の間にも芽生えていたのである。
▼仁、義、礼、知、信。さらには孝、忠、勇など。漢籍のなかの言葉は、日本人にとって習得するには難しいものであったが、武士道が掲げる徳目を明示するのに、これほど適した媒体はない。
▼戦闘者としての武士は、戦国時代までで消えた。後は、その歴史的残像のなかで、例えば「ご先祖様が関ヶ原の戦いで功名を挙げた」など、真偽も定かでない伝承をわずかな栄養分として、武士は誇りだけを保っていく。無禄や貧窮によって、食わねど高楊枝の武士はさぞ辛かったろうが、その「やせ我慢」で精神の純度を上げることはできた。
▼やがて武士が消えた明治になって、武士道は日本国民、とりわけ軍人に継承されていく。(次稿に続く)