【紀元曙光】2021年1月30日

1969年8月、松竹映画『男はつらいよ』が公開された。
▼記念すべきシリーズ第1作では、団子屋「とらや」の裏の印刷所で働く生真面目な青年・諏訪博と、車寅次郎の妹さくらが結婚する。博は、大学教授の父に反発して家出したまま絶縁状態だったが、この結婚を機会に久しぶりの親子対面を果たす。
▼二人の披露宴の席で、スピーチをする新郎の父。博の父親として自分が不明であったことを切々と語り、博に詫びると、博の目から大粒の涙が落ちる。続くセリフは「さくらさん。博を、よろしくお願いします」。博の父親役は名優・志村喬である。その圧巻の演技に、寅さんを含む劇中の人々と、映画館にいた観客の全てが、泣いた。
▼映画の披露宴シーンを撮影したロケ地は、東京の葛飾区柴又にある、川魚料理をメインとする老舗料亭・川甚(かわじん)だった。小欄の筆者は葛飾区の出身なので、地元といっても許されるだろうが、残念ながら川甚さんには伺ったことがない。ちょっと贅沢して、一度うなぎを賞味させていただきたいと思っていたが、叶わぬ夢となった。
▼江戸後期である寛政年間の創業から231年続いた川甚が、今月末で閉店するという。コロナ禍の影響で、観光バスで絶え間なく来ていた団体客は全く姿を消し、予約されていた会食もキャンセルが続いた。夜に酒類を提供する店ではないが、川甚ほどの名店でも客数の激減は致命的だった。
▼昨年来、テレビのニュースを見る度に、歴史あるレストランや旅館の廃業が伝えられる。なんと寂しいことだろう。せめてその思い出を、私たちは忘れまい。