【党文化の解体】第2章(4) 「神佛の存在を否定する」

1-2)佛家と道家を批判する

 1-2)-(1)  神佛の存在を否定し、信仰の動機を歪曲する

 老子の思想は孔子によって「雲の中の龍」と考えられ、今日の西方学界によっても老子の思想は依然高く評価されている。「福には災難が付き添い、災難に福が潜む」、「千里の道は、一歩から始まる」等の『道徳経』に見られる箴言は今に至るも影響力を保っている。

 漢代以降、道家の符菉、丹鼎など各流派は悉く老子を尊び、張道陵、邱弘済、許旌陽、葛洪等の修道者は白昼に飛昇する奇跡を残した。また、歴代の帝王の中に道士を国師として尊んだ者は少なくなく、張良は「三寸の舌を以って帝王の師と為す」と自賛していたし、蜀国の諸葛亮、唐朝の袁天罡、李淳風、宋朝の苗光義、明朝の劉伯温等は全て開国の帝王に国師として尊ばれた。チンギス・ハーンも晩年にはるばる長春道人こと邱処機を招いて道の教えを請うた。

 

老子は『道徳経』の中で、天、地、人の自然法則を説いた(イラスト=大紀元)

釈迦牟尼は菩提樹の下で四十九日間座禅しているうちに、悟りが開いて、彼の到達した境地の宇宙の真相を洞察した後、人々に徳を重んじて善を行ない、輪廻から抜け出す道を教えた。

 釈迦牟尼には十大弟子がおり、いずれも高い神通力を持っていた。第二十八代目の弟子である達磨は一本の葦に乗って川を渡り、常人には不可能なことをなした。達磨はその後、少室山で九年間壁に向かって座禅して自分の体の影を石壁に映して千古の奇観を残した。禅宗の六代祖師・慧能は圓寂してから1000年あまり経つが、その体は腐らず、今でも広東省の南華寺に端坐している。

 中共は社会発展の歴史の中で神の存在を否定しながら、各宗教内部の代理人に創始者を否定する言論を散布させた。

 佛教では佛は天国世界の創造者であり、例えば極楽世界は阿弥陀佛の願力によって成就されたところであると考えているのに、中国佛教協会副会長であった趙朴初は1965年にインドネシアのスカルノ大統領との会見で「佛は神格化されたものである」、「佛は万物創造の主ではなく……人の吉凶禍福を主宰することはできない」と語った。

 同様に、中共にコントロールされたキリスト教の「三自教会」主席である呉耀宗も、自分はイエスの奇跡を信じないと公言し、「上帝はすでに人類を救う鍵を教会から取り上げて共産党に渡した」とまで言った。

 神佛の存在は宗教の根本である。佛教、道教、或いは他の正教において、信徒たちが日々努力して自分の境地を高めるのは、最終的に自分の信じている神佛の天国世界に往生できるようになるためである。例えば、佛教の浄土宗の信者は阿弥陀佛の極楽世界へ往生できることを望んでいる。もし神佛の存在を否定し、天国世界の存在を否定するなら、宗教信徒にとって、修行は全く意味の無いものとなり、宗教のような修行団体も瓦解してしまう。

 中共は無神論の宣伝者として、宗教を「自然の力と社会の力が人々の意識の中に作り出した虚像に過ぎない」ものであり、「搾取制度によってもたらされた苦難に対する労働者たちの恐怖と絶望から生じたもの」とした。この宣伝方針に基づき、天国や地獄、善悪応報のような宗教の教えは、すべて中共の否定する対象になった。

 中共は「社会の苦難は宗教が存在し発展する土壤である」と宣伝し、意図的に、人生の道で苦難に遭遇し、全てに失望してから宗教に入信した人を信徒の常態とみなしてきた。

 

 ただ事実はそうではなく、修道者の張道陵(即ち張天師)は、かつて三回も漢和帝から太傅(九品官制での正一品官)として招かれたが、これに応じず、ずっと鶴鳴山に隠居して修煉に励んだ。

 また、釈迦牟尼佛は、出家する前はカピラヴァスツ国の王子であり、その父親は彼に出家の決意を変えさせるため、大きな花園に囲まれた壮麗雄大な宮殿を造り、数百人の美しい宮女に歌舞管弦で仕えさせ、インドで一番の美女ヤショーダラーを妻に迎えさせた。しかし、釈迦牟尼の決意は変わらず、夜中に馬に乗ってお城から出て、山林に入って修行に励んだ。

 釈迦牟尼が佛に成就した後、最初に済度した56人のうち51人は豪族の子弟であった。彼が故国に戻って佛法を説くと、王族や豪族の子弟の中で500人の品貌端正な者が佛に随って出家した。

 この事実から見ても、出家は決して現実の苦難(感情失意や経済的困窮など)からの逃避行為ではなく、菩提心を発して慧剣をもって塵縁を断ち切る大志なのである。

 中共の政権が生まれる以前は、民間には神を信じる環境があった。佛教や道教の修行者は「法師」、「道長」、「高徳の僧侶」などと呼ばれ、品格者の象徴であり、人々の尊重の对象でもあった。王朝の皇帝でさえも高僧に遇えば礼遇し尊重したものである。

 ところが、中共は、政権を奪い取ると直ちに、民間で「社会発展史」の教育を強行推進し、神を信じる環境を破壊し、修行者を愚昧、無知、迷信、或いは宗教を利用して金儲けを企む者などとして描き出した。その結果、修行者の社会的地位は地に落ち、尊重される立場から大衆に嘲弄される対象に変わり、多くの出家者はこのような精神的な侮辱に耐え切れず還俗した。

 

中共は「佛教の経文が何だ。すべて犬の屁みたいなものだ」という横断幕を僧侶たちに持たせて批判集会を行なわせた(イラスト=大紀元)

「人は高い目標を目指して進む」。誰しも自分の名誉を惜しむ心があり、成功者の仲間入りをすることを望んでいる。中共は佛教、道教の修行者を失意者、さらには「搾取階級」として描き出し、神佛を信奉する人は迷信を信じた思想的落伍者だと宣伝することによって、民衆を信教者から離れさせようとした。

 (続く)