【党文化の解体】第2章(6) 「宗教を世俗化する」

1-2)-(4) 宗教経典を歪曲し、宗教を世俗化する

 佛教では「佛、法、僧」を三宝とする。その中の「法」は即ち佛経である。中共は佛の存在を否定し、大徳の高僧を弾圧、迫害するだけでなく、経典に対する破壊が陰湿な手段で行なわれた。

 釈迦牟尼は『大般涅槃経』の中で、将来、魔王が僧尼や居士に転生して内部から佛法を攪乱すると予言した。

 前世紀の二十年代、三十年代に、太虚和尚は「人間佛教」の考え方を提案し、三乗共法(天乗、声聞、圓覚)は 「神権に迷信する」、「消極的な生き方」だと考え、「修行の現代生活化」や「寺院の現代学校化」、「現代化の佛教事業は工場、農場、保険会社、銀行、商社などを含み、農業、工業、商業、貿易が揃うべきである」と主張した。

 このような「人間佛教」の看板を掲げて佛教を徹底的に世俗化するやり方は、佛陀の原意に相反し、数千年来の佛教教義に要求されてきた「世俗を離れ、欲を捨てて、心霊を昇華させ、人間を超越する」という修行方針にも相反している。チベット佛教である白教の始祖・密勒日巴も弟子たちに「己が正果を成就できる前に、衆生を済度することを語るべきではない」と教えた。

 

金銭や政治、欲望に包まれている「人間佛教」の様相(イラスト=大紀元)

序論の中で指摘したように、党文化の第3タイプとは、すでに存在している思潮を持ち上げ、さらに掌握した国家権力を利用して深く広く国民に浸透させることである。

 中共は「人間佛教」のようなもっともらしい言い方に利用価値があると思い、信徒たちが「天国」への関心に代わって「人間」に注目するようになれば、さらに多くのでたらめな話を簡単に作ることができるし、教徒たちの思想を容易に操ることができると思った。そこで、「人間佛教」説を唱えた太虚和尚の弟子である趙朴初が、中共によって理想的な佛教代理人として選ばれたのである。

 趙朴初の指導下の中国佛教協会は、常に「荘厳なる国土に、利楽の情あり」という言葉を口にして、これを「積極的に祖国の建設に参加し、人民への奉仕に努めよ」と解釈した。実際、佛経の中に言われる「荘厳なる国土」とは、人間社会を指しておらず、「佛国の浄土」を指している(たとえば『妙法蓮華経』の中に「この功徳をもって佛国浄土の荘厳に供えたい」という詩がある)。「利楽の情あり」というのは、利楽の情を持つ衆生を涅槃の彼岸まで済度することを指している。

 (続く)