古代中国の物語

嘘を書き続けた官僚

誰もが気軽に文章を発信できる現代のネット社会。便利な側面がある一方、悪口や誹謗中傷のコメントも目立ちます。「ペンは剣よりも強し」という言葉がありますが、ペンの使い方を誤れば、相手を傷つけた分だけ報いがやってきます。因果応報の理を説いた古代中国の物語をご紹介しましょう。


宋の時代、宰相を務めていた章惇(しょう・とん)には、たくさんの政敵がおり、頭を悩ませていた。そこで、彼は自分の腹心を中書省(皇帝の勅令を起草する中央官庁)に置き、自分の都合のいいように文章を書かせて、政敵を倒そうと考えた。

中書省には、林希(りん・き)という中書舎人(古代の官職)がいた。章惇は人づてに紹介された林を大変気に入り、自分の口述通りに文章を書くならば、必ずや出世させると言った。一生うだつがあがらないと思っていた林は、またとない機会だと喜び、章の言う通りに勅令を起草することを約束した。

その後、林は章の口述通りに勅令を書いたが、その多くは彼の政敵を誹謗するものだった。たとえば、宋の時代を代表する詩人・蘇軾(そしょく)について、林は次のように書いた。「蘇軾とその父、また兄弟は非常に貪欲であり、権力を濫用している。自分たちの利益を得るために、人々を騙している。彼らは人々を見下し、あざむいているのだ」

林が書きあげた文章のために、多くの忠実な大臣が左遷され、流刑に処された。彼らが無実であるのは明らかだったが、誰にもなす術がなかった。

ある日、林は人を誹謗中傷する文章を書きながら、ふと思った。「こんなことを続けていれば、俺はだめになってしまう。評判も下がるだろうし、道徳心も失ってしまう」

しかし、彼はやはり出世の夢をあきらめきれなかった。でっち上げの文章を書き続け、無実の人々を貶めていった。

皇帝が代わり、章は失脚した。すると、すぐに林も左遷され、出世の道は絶たれた。その後、林は病気を患って亡くなった。彼は死の間際、5本の指が腐り、舌には腫物ができ、非常に苦しんだという。

(翻訳編集・郭丹丹)