【党文化の解体】第3章(20)
3.邪党の文化人を利用して悪党を賛美する
4)「見える黒幕」から「見えない黒幕」まで
中共党文学を透視するに、解決せねばならぬ問題がもう一つある。中共政権以後の党文学は、文化大革命を境に前後二段階に分けることができる。前段階は1949年から文革まで、後の段階は文革の終わりから現在までである。前段階において、「党」は力の限りぜんまいを巻き、必死に文化の命を絶ち、文芸の専制を行ったため、締め付けはますますきつくなり、枠はますます小さくなったが、それはまさに「収める」過程であった。それに比べ、文革以後、「文学は階級闘争のために奉仕する」といったスローガンは放棄され、「禁止領域を突破」し、「思想を解放」したため、作者の創作を縛る枠組はますます少なくなったが、それはまさに「放す」過程であった。現在の中国文壇において美女作家、「無頼文学」、「下半身作品」などがけばけばしい色を放ち、さすが「解放」された感じである。このような状況の中で、文学に対する中共の統制と利用をどう理解すればよいのか。
人口学では、大体25年を一つの世代に括る。1949年から1978年(中共十一期三中全会)までは29年間である。1920年以前生まれの人、即ち、1949年中共政権が確立する前に30歳以上で世界観がすでに形成された人は、1978年頃にはもう60歳或いはそれ以上になり、定年退職の年齢を超えている。その時代に各業界で活躍していた人々は、基本的には中共の毒ミルクを飲んで成長した世代である。即ち、1970年代末には中共党文化がほぼ確立されたと言えよう。そして、中共は政策を一変し、一部の領域からある程度の撤退を行い、それ以前の至るところにあった「見える黒幕」から「見えない黒幕」に変身したのである。党文化を全体的に「マクロコントロール」しつつ、民衆に対して下からの感化を及ぼす。(当然、必要であれば、「黒幕」はいつでも手を伸ばすことができる。)