≪医山夜話≫(63-2)

東洋と西洋漢方医療の違い(2)

10数年前、私がアメリカの漢方医学院で漢方の修士課程を習得した時、クラスの生徒30人余りの中で、中国人は2、3人しかいませんでした。卒業した後、免許を取るための試験の時でさえ、中国人はきわめて少数派でした。中国人の漢方医もいますが、実際、電話帳を見てみると、多くの漢方医の名前はやはり西洋人が多いのです。

 海外では漢方医学院の数が増え、漢方医博士の学位まで取得できます。西洋人が漢方医になって、西洋の考え方に漢方医学の伝統理論を加え、彼らの角度から理解した臨床治療を用いる、これは「西洋の漢方医」といえるでしょう。面白いのは、海外では至る所で「Made in China」の商品が見られますが、海外にいる漢方医のほとんどが「Made in USA」なのです。

 私が住んでいる町の道路の両側にも、数軒の漢方医診療所の看板が見えます。私が勤める中規模の医療センターにも5人の漢方医がいて、中国人は私だけなのです。

 ある日、私は同業者である西洋人のAさんが新しく診療所を開設したので、見学に行きました。玄関に掛けられた表札には「請入」と書かれていました。しかし、本来の中国語の表現では「請進」とすべきです。彼はきっと、中国語の「入口」から「入」を取ったのでしょう。

 また、次に目に映ったのは、額に入った「難得糊塗」という毛筆の書でした。「難得糊塗」は18世紀、清の時代の画家である鄭板橋(ていはんきょう)が好んで書いた自作の詩の題名です。「糊塗」は間抜けのことで、「愚かであるのは難しい」、「聡明(そうめい)であるのは難しいが、愚かであるのはもっと難しい」という意味になります。

 「Aさんの中国に対する知識と教養には品格がありますね。見直しました」と言うと、彼は、鄭板橋の詩と書が心から好きだと答えました。

 Aさんはヤギのような顎ひげを伸ばし、中国で30、40年代に流行っていた経理担当の人がよくかけているようなシルバーメッキのメガネをかけ、「中国カンフー」の靴を履いています。彼の上着の前身頃には竜の模様が描かれ、後ろは逆さまになった日本語の漢字でした。「後ろの文字は中国語ですか、それとも日本語ですか」と冗談で聞くと、なんと彼は「日本語の漢字も、基を正せば中国語から出来た文字ですよね」と答えました。「なるほど、彼の使う文字の中には、多くの知識が隠されている」と思いました。

 彼は外国人として、中国文化を心から称賛し、崇拝しています。ある日、彼から四字熟語「心領神会」の意味を聞かれました。私が、「相手が明白に言わなくても、聞く側は話の真髄を理解すること」と説明すると、彼は感動して涙を浮かべました。「一つの四字熟語でこんなに感動するのなら、『四字熟語辞典』、『辞海』などを読んだら、感動しすぎてあなたの心臓は耐えられませんよ」とからかいました。

彼も、「あなたの診療室にある電気針計、紫外線など、中国の伝統はどこにあるのですか」と言い返してきます。私が腕時計を使って脈拍を数えたり、模型に照らしてツボを探したり、また血気、虚実、陰陽不均衡などの理論で診断したりするのを見て、このようにからかったのです。彼と私は仲の良い同業者であり、またライバルでもあります。互いに漢方医療の技術について、交流も行なっています。

 ある患者の例があります。30代の患者は長い間、妊娠できず、不妊症に悩まされていました。たくさんのお金をかけ、多くの医者に診てもらいましたが、良い治療法が見つからず、私たちの漢方医療センターにやって来ました。

センターの西洋人漢方医たちは皆、患者に「当帰」を使用するべきだとして意見が一致しました。患者はこの錠剤を服用し、まもなく妊娠しました。過去10年間、数十万ドルを費やしても上手くいかなかったのに、たった2ドル50セントの「当帰」という錠剤が彼女の念願を叶えたのです。彼女の口コミで、診療所の「当帰」はよく売れました。

 私は、Aさんが中国から帰って来てから、彼の中国に対する感想を聞き、とても感動しました。「10数年前の中国では、漢方医は診察の際に脈を診て、舌を診て、出す処方も伝統の漢方薬を処方しました。漢方を煎るのは面倒ですが、たしかに効果がありました。今の中国では、漢方医も聴診器を使い、患者にビタミン注射をし、漢方薬の錠剤には意外にも、大量に西洋の薬の成分が入っています。これはいったい何故でしょうか」

 「先生に脈の診方を質問すると、先生は自分で感覚を掴めと言いました。感覚が掴めないので習いに行ったのですよ! 中国はとても神秘を秘めた所であり、私はずっと昔から中国人に生まれ変わりたいと思っていました。しかし、今の中国はどうしたのでしょうか? 漢方の精髄を失いつつあるのです」。彼は私よりも、中国の現状を心配しているようでした。

 Aさんのような西洋人の漢方医がいるおかげで、海外での漢方治療は、最初の認められないところから、次第に医療保険会社も承認する正規の治療となりました。最初は見向きもしなかった多くの西洋医学を学ぶ医者たちも、次第に考え方を変え、興味を持ってくれるようになりました。今、数千年の文化を大切にしない中国人が多い中で、彼のような外国人たちは『黄帝内経』、『傷寒論』、『金匮要略』など古代中国人の文化遺産に目を向けて、発掘したり探求したりしているのです。
 

(翻訳編集・陳櫻華)≪医山夜話≫(63-2)より