人身は得難い! 一言の戯言で人身を失う

アメリカのハーバード大学医学部の神経外科医エバン・アレクサンダー氏は、脳の神経に関する研究を長年行ってきた。彼は脳膜炎を患い、意識不明の状態で臨死体験をし、人が死んでも魂は生きていることを知った。その後、『天国の地図(Map of Heaven)』という本を書いた。その中でアレクサンダー氏は、ある亡き妻が蝶になって帰ってきたり、別の亡き夫がオウムになって家に帰ってきたりと、様々な転生の実証を述べている。

現代の科学では輪廻や霊魂などの問いに答えることはできないが、文人の筆記や仏典物語には、そのような記述がある。古代から現代まで、仏教には六道輪廻の説法があり、前世は人、来世は動物になるかもしれないし、現世は動物、来世は人になるかもしれない。
 

オウムが人に生まれ変わる

淳熙15年(1188年)4月のある日、湖南に住んでいた麻成忠が休んでいると、外の寺から長老である寿普が訪ねてきた。

麻成忠は僧の寿普と長く話をしていたが、書斎に経典を取りに行くため、しばらく席を立った。その時、鳥かごの中に入っていたオウムが、突然、寿普に言った。「禅師、ご慈悲をお願いします。助けてください」

「どうしたのだ?」と寿普は尋ねた。オウムは「私は3年も鳥かごの中に閉じ込められていて、なかなか解放される機会がありません」と言った。

僧の寿普は、「小さな鳥よ、誰が人の言葉を教えたのだ!」と言った。寿普の言葉を聞いたオウムはすぐに理解し、何かが喉に詰まったかのように二度と言葉を発しなかった。

数カ月後、麻成忠はオウムが喋らないのを嫌がり、オウムを放して自由にさせた。

オウムは鳥かごから飛び出ると、寿普のもとに飛んできて、鳴き声をあげて礼を言った。寿普は「これからは、高く飛んで深い森の中に入り、また網にかからないようにした方がよい」とオウムに言った。オウムはまた寿普に教えを求めた。寿普は念仏を唱えさせ、やがてオウムは飛んでいった。

あっという間に8年以上が過ぎた。慶元2年(1196年)11月、寿普は行脚の途中、桃源(今の湖南省常徳市)に行き、しばらく王家に住んでいた。ある日、寿普が夢を見たとき、子どもがお礼に来た。「あなたは誰だ?」

子どもはこう言った。「私は麻成忠家のあのオウムです! あなたのご指摘に感謝します。私は人に生まれ変わりました。今、私は西巷の蕭二家に生まれ、男の子になりました」

寿普は「何を頼りにすれば、会えるのか!」と子どもに尋ねた。その子どもは「弟子の左脇の下に鳥の羽毛が残っています!」と言った。次の日、寿普は西巷の蕭二家を訪問した。彼の家の男の子の左脇の下に実際に鳥の羽毛の痕跡があり、夢の中の子どもが言ったことと一致した。

宋の民間には、オウムが人に生まれ変わったという記録が残っている。古代インドでも、マカクザルが人に転生したという記録があり、その物語はさらに広い意味を持っている。
 

蜂蜜を出すマカクザルの話

古代インド時代、舎衛城に師質という富豪がいた。師質は莫大な財産を持っていたが、子どもがいないことに苦しみ、憂えていた。人に勧められて佛陀に聞きに行った。

佛陀は、将来は福と徳のある子どもを持つことになり、大人になれば出家修行を求めることになると断言した。師質はこれを聞いてとても喜び、佛陀に「今世に子どもがいる限り、家を出て道を学んでもよいではないか」と言った。そこで佛陀を家に招き、隔日で供養を受けたいと考えた。佛陀は承諾し、約束通り、僧団を連れて彼の家に来た。

師質夫婦は力を尽くして、敬虔に斎食を捧げた。供養を終えると、一行は帰り道に清らかな湖を通り、湧き水がとても澄んでいたので、そこでしばらく休んでいた。

僧侶たちは鉢を洗いに行き、阿難が鉢を持って湖のほとりに行くと、一匹のマカクザルが現れて鉢をねだった。阿難は鉢が壊れるのを心配し、渡したくなかった。佛陀は「鉢を与えなさい、悩まなくてよい」と言った。

マカクザルは鉢を手にすると、木に飛び乗って蜂の巣から蜂蜜を鉢で取り出し、佛陀に捧げた。佛陀はまず蜂蜜の中の不浄なものを取り除き、湧き水でかきまぜるよう命じた。マカクザルはその通りに行った。

こうして、佛陀も僧衆も蜂蜜の水を飲み、マカクザルは喜んで飛び跳ねたが、うっかり足を滑らせて大きな穴に落ち、即死した。マカクザルの元神は師質家に転生し、その息子となった。

この赤ん坊が生まれたとき、師質の家の器には自然と蜂蜜が充満していた。占い師に見込まれ、その子に「蜜勝」と名付けた。この子は佛陀が言ったように福徳を持っていた。

蜜勝は大人になって出家修行を願い出たが、師質は惜しんだ。しかし、約束を守って息子の懇願を受け入れた。蜜勝は喜びながら、佛陀の家に行き、礼をして出家した。不思議なことに、蜜勝は佛法を聞いて、やがて羅漢の果位を得た。

蜜勝は僧侶たちと外に出たとき、喉が渇くたびに鉢を宙に放り投げ、その鉢に蜜を満たして、喉の渇きを癒した。

その後、阿難は佛陀に、どんな因縁が、出家して間もない蜜勝に蜂蜜が欲しいときにすぐ出させたのかと尋ねた。

佛陀の教えにより、蜜勝の前世はサルであり、そのサルの前世は若い僧であることがわかった。昔、その若い僧はもう一人の僧が水路を飛び越えるを見て、その跳ねる姿がマカクザルのようだと嘲笑した。笑われた僧は果位を得ており、心は清浄無為で、世情から遠く離れていたため、全く責めようとしなかった。それに対し、若い僧は得道者に口業をつくってしまい、次の世でマカクザルになったのだ。

一言の戯言で僧は人身を失い、累世の因縁の中で、人から非人類に、また非人類から人に転生する。長い生と死の輪廻が目的ではない。自らの修為を高め、生命の真諦を求めることこそ、人として世に降りる心の願いなのであろう。

(『夷堅志補』巻四、『賢愚経』巻十二より)

翻訳 源正悟