失敗から生まれた傑作、ミケランジェロの「ダビデ像」

ミケランジェロの若い頃の作品である「ダビデ像」は、彼のルネサンス期の巨匠として不滅の地位を確立しただけではなく、フィレンツェ人の誇りであり、フィレンツェの精神的なシンボルでもあります。

ヴァザーリの『芸術家列伝』によると、ダビデ像はミケランジェロが手に加える前は、元々捨てられた大理石だったそうです。彫刻家のシモン・ダ・フィエソは、人物像を彫る際に誤って脚の位置に大きな穴を開けてしまいました。あまりにもひどく壊れてしまったため、完全な作品を彫ることはすでに不可能だと思われました。

当時のイタリアの首相であるピエトロ・ソダーリニは、これをレオナルド・ダ・ヴィンチに、後に熱心な彫刻家のアンドレア・コンドゥーシに与えようとしました。それを知ったミケランジェロは、不可能だと思われていたことをやってみたいと思うようになりました。石を確保するために、事前に徹底した準備を行いました。ミケランジェロは現地に赴き、石の寸法を測り直し、現存する形に合わせて彫刻の施し方を計算し、その案をソデリーニに提出したところ、ソデリーニは最終的にこの大理石をミケランジェロに渡すことを承諾しました。

ミケランジェロは単管パイプと厚板で大理石の周りに幕を張り(ミケランジェロは作品が完成するまで覗き見を許さなかったため)、作業に取り掛かかりました。ミケランジェロは、大理石の元の壊れた部分に、わざと鑿(のみ)の跡を残しております。今になっても、ダビデ像をよく見ると、その細かい傷を見つけることができます。

ミケランジェロの思いのこもった発想のおかげで、失敗し捨てられるはずの石が奇跡的に蘇りました。

広場に立てられたダビデ像を見て、ゴンファロニエーレ(中世イタリアの都市国家における最高執政官)のソデリーニはとても喜びました。しかし、彼はわざと目利きのふりをして、ダビデの鼻が太すぎると批判しました。ソデリーニがこのような素人じみた発言をしたときに、像の真下に立っていたこと、そしてこの角度から彫刻の全体を見渡すことができないことに、ミケランジェロは気づきました。ミケランジェロは、上司に恥をかかせたくないという思いから、大理石の粉末を手に取り、像の肩にある鷲の台に登り、鑿を叩くふりをしながら、持ち上がった粉末を散らすような仕草をした後、下にいる首相を見て、「さあ、もう一回見ていただけないでしょうか」と言いました。ソデリーニは「ずっといい!前よりは本当に生き生きとなりました」と答えました。

ダビデ像は、500年もの間、その精細な構造、均衡の取れた比率、エレガントな容姿、その緊張感溢れる雰囲気で賞賛されてきました。ミケランジェロ自身が言ったように、彼の彫刻は「石の中に閉じ込められた生命を解放するもの」です。ミケランジェロは、このダビデ像によって、フィレンツェの権力者がダビデのように勇敢に民衆を守り、公正に民衆を治めるべきで、それでこそフィレンツェ全体を真に統治することができると示唆しています。

(翻訳編集・柳成蔭)