【佛家物語】釈迦牟尼仏が選んだ悟りを開く場所

唐代の玄奘三蔵(三蔵法師)は自らの著作である『大唐西域記』で、釈迦牟尼仏が選んだ悟りを開く場所についてこのように記しています。

釈迦牟尼仏は森の中で非常に厳しい修煉を経てから、極端な苦行を諦め、真の悟りと解脱を求めようと決心しました。こうして釈迦牟尼仏は缽羅笈菩提山(山の名前)へとやってきました。この山が非常に静かであるため、悟りが開くまでここで入定することに決めたのです。

釈迦牟尼仏はまず、山の東北方向の頂上へ向かいました。しかし、山頂まで登った途端、大地が揺れ始めたのです。

その時、山の神は恐れながら「ここは、あなた様が悟りを開く場所ではありませぬ。もしここで悟りを開くのであれば、この地方はその力に耐えられず、大地が陥没し、この山でさえも崩れるでしょう」と釈迦牟尼仏に伝えました。

山の神の話を聞いた釈迦牟尼仏は東北崗から降りて、西南方向へと向かいました。山の途中の崖にたどり着いた時、ふと大きな洞窟が目に入ったのです。しかし、中に入って座禅しようとしたその時、大地と山は再び揺れ始めました。

この時、天上から神様の声が伝わってきました。「ここは悟りの開く良い場所ではありません。ここより西南15里の方向、あなた様が苦行していた場所の近くに、菩提樹(ボダイジュ)があります。その菩提樹の下がよいでしょう」

これを聞いた釈迦牟尼仏は数々の護法善神が見守るもとで、菩提樹の下まで行き、そして、四十九日の入定を経て、悟りを開いたのです。

過去の修煉者は、悟りが開いたその瞬間、修煉によって生み出された丹が爆発し、その強大な衝撃により、人間界が大きく揺れるのです。場合によって大津波を引き起こすこともあります。大昔から伝わってきた修煉方法はすべて、悟りが開いた瞬間、丹が爆発することになっています。

(正見ネットより転載)
(翻訳編集・天野秀)