吉良邸討ち入り。二代目山崎年信画、1886年
中国伝統文化と日本(六) 漢詩を遺した赤穂浪士
江戸時代の中期、元禄16年(1703)というと今から319年前のことになる。
その2月4日(新暦3月20日)に、前年の12月14日に本所松坂町の吉良邸へ討ち入った赤穂46士(47士のうち寺坂吉右衛門を除く)が、幕命により切腹して果てた。
その赤穂浪士のなかに武林隆重(1672~1703)という侍がいた。唯七(ただしち)という通称で呼ばれることが多かったので、後世の芝居や映画では、多くその名前で登場する。以下、それに倣う。
関連記事
数百年を生きるグリーンランドサメの目は、200歳を超えても衰えていなかった? 最新研究で判明した、老化しない網膜と強力なDNA修復機構の驚くべき実態とは。人間の視力低下を防ぎ、加齢に伴う眼病治療の未来を変える潜在能力に迫ります
良い人生とは何か。快楽、意味、徳という古代哲学の問いを、炎症や寿命、細胞の反応から見つめ直します
非利き手で歯磨きや文字書きをすると、脳はいつもより働きます。集中力と神経可塑性を高める小さな習慣を紹介します
茶道に息づく「一期一会」の精神を、日常の何気ない所作や東洋思想の「仁」と結びつけて紐解くエッセイ。二度と戻らない「いま、目の前の瞬間」に全身全霊で向き合うことの尊さを静かに問いかけます
食事抜き、睡眠不足、トイレの我慢。忙しい人が見逃しがちな過労のサインと、体を守るセルフケアを紹介します