私の思い出のキエフ「温もりと風格の街」(3)

(前稿から続く)

8 軽やかな親切

ある日のことです。
キエフの街角で、私は段差を踏み外し、足首をねん挫してしまいました。
すぐに患部が腫れてきて、激しく痛みました。地下鉄の階段を下りることができず、手すりにつかまったまま立ち往生していたのです。

おしゃれな服を着た若いウクライナ人の女性が、私が困っていることに気づいて、「どうしたの?」と尋ねました。

足の怪我がひどくて、階段を下りるのが難しいと言うと、彼女はすぐに「あなたを背負って、下のホームまで運ぶわ」と言います。

私は恥ずかしくて、ついつい彼女の申し出を遠慮しました。すると彼女は、私をしっかり横から支えて、ゆっくり階段下まで下ろしてくれました。

彼女は急ぎの用事があったかもしれませんが、その後も私のために時間を費やし、よろよろ歩く私を支えて、とうとう地下鉄の電車の中まで連れて行ってくれたのです。

「じゃあ。気をつけてね」。そう言って軽やかに去った彼女は、さっぱりしていて口数も少なく、ごく普通の職場にいる女性のようでした。

9 心ゆたかな人々

彼女の名前も知りませんが、私は彼女を忘れることはありません。
今思い返してみても、これはウクライナの日常的な光景であり、何も特別なことではないのです。

人は、自分の心をゆたかに保てば、他人に対しても細かな配慮ができるようになるのです。私を助けてくれた彼女の心が、まさにそうであったに違いありません。

彼女の目は「心遣い」が必要な場面を的確に捉えていました。その上で、「私は関係ない」と過ぎ去るのではなく、かと言って自分の親切を押しつけず、とても自然に、ほどよい程度の人助けができるのです。

そうした親切は、彼女個人の優しさから生まれたものかもしれないし、ウクライナ国民の素養から自然に出たものかもしれません。

いずれにせよ、キエフで私の目の届くところには、どこにも人の優しさ、人と人との助け合い、思いやりの形が多く見られたのです。

そのため、キエフに対する私の印象は、限りなく美しく、穏やかで、人情に満ちているものとなりました。キエフは、とても温かみがあり、それゆえに風格のある都市です。
(次稿に続く)

(文・白簡/翻訳編集・鳥飼聡)
 

白簡