ドイツ、ヨハン・セバスティアン・バッハ博物館に展示されている楽譜。 (Shutterstock)

クラシック音楽史上 燦然と輝く巨人 バッハ(下)

バッハの並外れた性質は、神の設計によるものである

バッハの非凡さは、神の摂理による意図的なものであったようです。ヨハン・ゼバスティアン・バッハという名前と数字の関係には、ある種の意味があります。

Bachという名前に使われているアルファベットは順番で数えると2、1、3、8の順で、それらを足すと14になり、1と4の数字をひっくり返した数字41は、ちょうど9+18+14=41というJ.S.Bachのアルファベットが表す数字の合計となります。 (ドイツ語のアルファベットでは、Jは9、Sは18で計算される)

最後の賛美歌では、バッハはこの数字の構造を音楽全体に取り入れています。

バッハの音楽を聴いていると、理性と調和を感じます。その典型が「バッハの主題」です。ドイツ語でBachという名前のアルファベットは、音階CDEFGABを順番に数字を当てはめていくと、それぞれ♭7、6、1、7という4つの音を表しています。

バッハ自身は、この自分の名前が代表する4つの音を完全な音楽的モチーフとして、幅広く音楽に応用していました。そこからバッハの音楽のハーモニー、壮大なポリフォニック作品が生まれたのです。

バッハの生涯の仕事のほとんどすべては、神への礼拝、賛美、奉仕に捧げられ、神の意志の顕現を作曲の最高の原理としていました。「神への栄光」を意味する「Soli Gloria Deo」のラテン語略語、 S.G.D.の文字はバッハの主要な楽譜にすべて記載されています。

さらに、数ある音符や拍子、声部の中から聖書の章数をまるごと選んで、時間数や小節数を詠んだりもしました。例えば、7、5、6、13、14といった数字です。バッハの「ヨハネ受難曲」では、アリアや語りのパッセージ(楽節)でも、通奏低音の音数など、すべて聖書の一節に関連しています。

(翻訳・微宇)

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