千歩歩くと出会える台湾 400年の歴史を旅する!淡水日帰り遺跡巡り(上)

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台湾の北部に位置する淡水区は、その特徴的な地理環境により、17世紀から欧米文化との重要な架け橋でした。紅毛城、淡水税関埠頭、小白宮、ダグラス洋行、真理大学、滬尾炮台、多田栄吉故居、日本警官宿舍、淡水老街など多くの歴史建築が立ち並び、人気の観光地となっています。

これから風情ある建造物と共に見る淡水400年の歴史へご案内します!

台湾の別称としても知られる「Formosa」(フォルモサ)は、16世紀に貿易での利益を求めてヨーロッパから台湾にやってきたポルトガル人が、緑に覆われた景色に感動して「Formosa!(ポルトガル語で美しいの意)」と叫んだことが始まりだと言われています。

しかし、当時ポルトガル人が見たのは実は沖縄であったと考えている学者もいて、台湾を「フォルモサ」と呼んでいたとする確固たる記録は1585年のスペイン船隊の航海日記だとする説もあります。

いずれにせよ、台湾が「フォルモサ」と呼ばれたこの事実は、台湾が初めて国際社会に入った証拠のひとつです。

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17世紀頃、台湾に上陸したポルトガル人とスペイン人は南北にそれぞれ拠点を構え、初めて淡水の地にやってきたのはスペイン人でした。植民地統治を開始した両国は、統治を強化すべく城壁や港湾などを建設し、1628年、スペイン人がこの淡水にサント・ドミンゴ城を建てました。

しかし、1642年にオランダ人に敗れスペイン人が撤退すると、オランダ人が城跡をさらに強固に建て直しました。これが、現在も残る「アントニー要塞」、俗に言う「紅毛城」です。当時、オランダ人のことを「紅毛」と呼んでいたためにこの名前が付きました。

紅毛城は国家一級古跡にも指定されている台湾に現存する最古の建築です。

 

17世紀にオランダ人が建てた「紅毛城」。 (Shutterstock) 

 

続いて紹介するのは、紅毛城から歩いて行ける距離にある「福佑宮」。1782年に建てられた淡水最古の廟(びょう、中国固有の宗教の建物)です。清の時代、多くの福建沿岸住民が台湾に渡航してきましたが、「六死三留一回頭」(6割が死去し、3割がその地に留まり、1割は祖国へ帰る)という言葉もあるほど、当時は台湾海峡を横断することは非常に困難を極めるものでした。そのため、ここ福佑宮では、海上の守り神——媽祖(まそ)が移民や渡航者たちの信仰神として祀られていました。

今では「淡水老街」といえば、最も人で賑わう中正路を中心とした観光地一帯のことを指しますが、本当の老街(古い街並み)はここではありません。中正路から通りを一本隔てたところにある「重建街」こそが、淡水で最初にできた本当の老街(古い街並み)なのです。地元の方の案内がなければ、とても見つけられず、一見ただの裏道にしか見えません。しかし、そんな目立たないこの重建街は200年以上の歴史を持つ古い通りで、日本統治時代までは商業も栄え、大変にぎやかな時代を過ごしました。

1860年、淡水税関埠頭が開通し、それ以降、国際貿易をメインとする商業の港となり、20年余りの黄金の時代を迎えました。税関埠頭は清朝末期に建てられ、日本統治時代に再び建て直されました。そのため区内には、清朝と日本統治時代の税関関連の建築物が今も残っています。

税関職員の住居場所でもあった「小白宮」は、緑豊かな庭と白い壁に、赤いレンガという異国風情に満ちた建物で、バルコニーで埠頭を通る船を眺めながら、イギリス式の午後のティータイムを満喫することもできます。

 

当時、税関職員の居住地であった「小白宮」 2060505866 (Shutterstock)

 

旅の始まりからここまですでに250年の歴史を見てきました。様々な歴史を持つ建造物を見ていると、当時の暮らしぶりが少し垣間見えるとともに、歳月の流れを感じます。もしかすると、これこそ淡水(台湾新北市淡水区)が人々に神秘さとロマンスを感じさせる所以なのかもしれません。
(つづく)

(翻訳編集・天野秀)