【インタビュー】ハーバード大学元准教授が昏睡状態で見た天国 (2)

(前稿よりつづく)
 

人は強力な意識を持っており、病気を治すことができる

私たちは、昏睡状態に陥る前の私のように、意識が物質的なによって生成されると誤解していますが、そうではありません。

科学における新しい理論は「フィルタリング理論」です。

つまり、脳は物理的な処理工場のようなものなのです。私たちの意志は、脳から離れても自由であり、物質世界に影響を与える大きな力を持っています。例えば、プラシーボ効果とは、患者の心が癒されるだけで奇跡的な治癒効果が得られるというものです。

『Spontaneous Remission: An Annotated Bibliography』(自然治癒力: 注釈付き参考文献)という本には、1990年代半ばに癌、感染症、先天性疾患、変性疾患から自己回復した3500以上の原因不明のケースが記録されていますが、その多くは患者自身の自信が予想外の効果を発揮したためでした。

瞑想や祈りといった行為も、私が臨死体験で経験したように、人を癒す状態に導くことができます。しかし、臨死体験が奇跡的な治癒効果をもたらすことを、現代の医学はほとんど説明できていません。

また、他の臨死体験も引き合いに出すことができます。例えば、癌で死にかけたあと回復したアニタ・ムーアジャニ氏や、30分間溺れ続けたのに奇跡的に回復した骨格外科医メアリー・C・ニール氏の話などです。このように別々に起こったスピリチュアルな癒しの事件は、どれも驚くべき例です。プラシーボ効果は祈りの効果に似ており、これらは非常に強力な治癒方法です。

もし、私たちの意識が自分の体やヒーリングの効果に影響を与えることができるのなら、現実の世界で起こることにも影響を与えることができるかもしれません。

私の話はとても有力な説であり、何百人もの医師、看護師、医療従事者、特に死者を扱う人たちが、物質的な肉体が死んでも意識は一緒に死なないということに気づきました。彼らは、その証拠をたくさん見てきました。

意識、臨死体験など、物質的な脳を超えたところに目を向ければ、生活のいたるところに鮮明な例があります。
 

科学信仰を捨て天国の存在を信じる

「臨死体験」は現代の言葉ではなく、紀元前のプラトンの時代から存在しており、戦死寸前のアルメニア人兵士イルが自身の生涯を振り返る記録が残っています。

生き返ったとき、イルは他の兵士にこう言いました。「死んだら、自分の人生の大事なことを振り返る走馬灯が見えます。私が人生を振り返って学んだ最も重要なことは、私たちの存在意義は互いに愛し合うことであるということです」。

このように探求してきた私たちは、神の力は絶対に本物であると信じています。科学的、哲学的な観点からも、唯物論は80年前に過去のものとなっています。

しかし、私は宗教的な信念を見ているわけではありません。2002年から昏睡状態になるまでの長い間、私のは失われていました。神への信仰を捨て、祈りをやめ、息子たちを教会に連れて行くのをやめ、夜中に祈ることもやめました。しかし、私の臨死体験は、この宇宙には神の慈悲の力が絶対に存在することを、永遠に疑いなく証明したのです。
 

臨死体験が人に与える最大の変化

臨死体験から学んだ最も重要なことは、「自分がしてもらいたいように、他人にもしてあげなさい」という宇宙の根底にある真理です。

理不尽に人を苦しめれば、自分が死んだ時にその代償を払うことになるのです。私が通った谷のように、人生の振り返りの空間を通過するとき、私たちは自分が傷つけた相手と同じ痛みを経験するのです。だから、人を傷つけると、人生の振り返り体験が地獄のようになる人もいるのです。

その光と慈悲の中で、痛みと苦しみは際立っているのです。来世ではより優しく、より愛に満ちた人間になるために、一連の修正作業が行われます。これが、このプロセスを通じた意識の最終到達点です。

すべてを変えたと言えるでしょう。魂の存在、宇宙との関係、他者との関係など、私の認識を変えてくれました。

私だけではなく、臨死体験をした人の90~95%以上が、より愛情深くなり、物質主義でなくなり、人を助けることに専念し、優しさや愛情を示すようになるそうです。

私は旅から戻り、私たちの最大の課題の一つは、いかに自分自身を愛するか、つまり、神の慈愛に満ちた摂理に対する理解を深めることであり、これこそが私たちに本当に必要なことだと悟ったのです。

この経験で最も理解するのが難しいのは、死んだらどうなるかではなく、この人生をいかに冷静に、有意義に生きるかです。私たちは、自分の魂が神や宇宙の生命とつながっていることを認識し、それを人生の指針にする必要があるのです。

また、生命の源は、ダーウィンが信じていたような進化論的なものではないと考えています。 それでも、この誤った解釈は、経済、政治、社会のシステムに浸透し、いわゆる「適者生存」、「自分と競争するものを排除する」という概念に発展しています。たとえばイルカがクジラの出産を助けたり、異なる種同士が助け合うなど、種間・種内の協力やコミュニケーションの例が、現代の生物学では数多く発見されています。

肉体をもってこの世に生を受けたとき、私たちは霊の世界から見放されたように見えます。しかし人々は、私たちが本当に見捨てられたのではなく、その中のつながりを再発見する必要があるということを忘れています。特に、私たちは自分の世界を十分に感じることで、より有意義な生き方ができるようになるのです。
(完)

(翻訳・井田千景)