大規模通信障害に対する備えは十分なのだろか。写真はイメージ (Photo by ADRIAN DENNIS / AFP)

大規模通信障害で買い物もできない トロント在住の筆者が考える対策の重要性

7月、日本とカナダはともに大規模通信障害に見舞われた。職場や社会生活においてインターネットへの依存度がますます高まるなか、通信のトラブルがもたらすリスクも無視できないものとなっている。筆者が住むカナダで7月8日に発生した通信障害では、通信・通話サービスが利用できなくなったほか、銀行や政府機関、カード決済サービスも一部機能不全に陥り、1,000万人以上が影響を受けた。原因となった大手通信事業者「Rogers(ロジャーズ)」は利用者に謝罪、信用回復に努めると発表した。

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今となっては、Rogersで何が起きても、丸一日インターネットも携帯電話も使えなかった恐ろしい記憶がよみがえってくる。長年Rogersを愛用してきた私としては、あの日はまるで世界の終わりのようだった。リモートワークするのにインターネットが使えないだけだったらまだましだ。最悪なことに、通信が途絶えたため緊急通報もできず、家族や友人にも連絡できなくなり、更にクレジットカードでの買い物すら空頼みになった。大都会に身を置きながら、まるで絶海の孤島にいるように感じた。トロントに居るのに、全世界から隔離されたような感覚は、どこか奇妙で、しかし人を不安に陥れるものだった。

Rogersの今回の大規模通信障害の原因は、システムのメンテナンスアップデートに伴うルーターの誤作動だったとされている。影響はカナダ全土に波及し、1000万人以上が影響を受けた。さらに、銀行、政府機関、緊急サービス、決済サービスそして多くの企業にも影響を及ぼした。

皮肉なことに、憤りと失望に駆り立てられた人々が通信事業者を切り替えようと他社のショップに向かったものの、手続き自体ができない状況だった。手続き時にアクセスしなければならないシステムも通信障害の影響で稼働していなかった。たかがネット、されどネット。Rogers一社のトラブルで危うく一つの国が機能不全に陥るところだった。

理由はどうあれ、システムエラーで1,000万人以上に影響を与えることはRogersのIT担当者たちが決して望まない局面であろう。しかし、今回の出来ことは我々に肝要な啓示を与えた。我々はいつの間にか発達した通信技術に過度に依存するようになってしまった。日常生活の面だけでも、インターネットがなければ、仕事や買い物ができない。家族や友人にも連絡が取れず、緊急通報さえできない。

ではどうすればいいのか。いざという時のことを考えて、「逃げ道」を用意すべきだ。運転を習い始めた頃、ある経験豊富な運転手から「運転中は周囲をよく見渡し、いざという時にすぐ逃げられるよう、逃げ道を確保しておくべきだ」と言われたことがある。残念ながら、日常生活においても逃げ道を確保しなければならない状況に私たちは直面している。

我々個人にできることは少ないかもしれないが、「備えあれば患いなし」だ。 例えば、一定の現金を常に手元に用意すること。非常食や水などを備蓄しておくこと。最寄りの警察署や消防署、病院の場所を覚えておくこと。また、身近な友人と、緊急時の待ち合わせ場所や時間について話し合うこと。 約束の時間までに合流できなかったらどうするかも合わせて検討すると良いだろう。

インターネット回線の事業者と携帯電話の事業者を別々に契約しておくことも考えられる。一方の業者が使えなくなっても、もう一方の業者のサービスを利用できるかもしれない。

今回の恐ろしい通信障害を経験して、以前のように無防備のままでは痛い目に遭うと痛感した。自分自身、そして家族を守るためにも、緊急用のプランを予め考え、準備をしておくことが肝要だろう。

(翻訳編集・静媛)

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