ウルフ・メッシング伝記その4:権力は天の意志には敵わない(上)【未解決ミステリー】

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前回は、ナチスが滅亡する運命を正確に予言したことでヒトラーの怒りを買ったウルフ・メッシングがどのように牢から脱出し、ソ連に逃げ込み、それからスターリンの注意を引いたかについて話しました。

今日は何度もクレムリン宮殿に招待されて、スターリンと面会したメッシングの伝記について話したいと思います。

スターリンとの初対面:テスト

1940年12月20日、メッシングはソ連のトップであるスターリンと初めて面会しました。スターリンの腹心で、ソ連の秘密警察のラヴレンチー・ベリヤはかつてメッシングを至近距離で観察したこと、衛兵たちに催眠術をかけさせたこと、通行証を持たないまま何の阻止にも遭わずに街に出たことなどをすべてスターリンに報告しました。

メッシングと初対面のスターリンは彼を「詐欺師」と呼び、軽蔑した態度を取り、近未来に起きる重大事件を予言させました。

「1月には、ブカレスト(ルーマニアの首都)でクーデターや暴動、虐殺が起きる。クーデターは1月21日に始まり23日に終わり、失敗する」とメッシングは言います。

スターリンはこの初の顔合わせに少しがっかりした様子でした。メッシングは彼の前で思う存分にその才能を披露しなかったからです。しかし、メッシングは本当はスターリンに「ドイツの攻勢が迫っている」ことを伝えたかったのです。

そして、「ドイツ軍はキーウ(ウクライナの首都)を占領し、バビ・ヤールと呼ばれる峡谷でユダヤ人を大量に射殺する。そして、数十万ものソ連兵の捕虜を収容するための強制収容所を作り、ソ連兵の捕虜たちは苦しみながら死んでいく」など、今後何が起こるのか、メッシングは知っていました。しかし、彼はあえて口に出して言わなかったのです。自分の予言の正しさを証明して、自分を見せびらかすために、悲惨な真実を伝えるわけにはいかなかったのです。

ヨシフ・スターリン(パブリックドメイン)

スターリンとの2回目の面会:言いづらい真相

1941年1月21日、メッシングの予言通りのことがラジオで流れました。ルーマニアの首都ブカレストで武装暴動が起きたのです。2月3日、メッシングはスターリンと2回目の面会をしました。

スターリンは、メッシングに自分の3人の子どもたちの未来について尋ねました。メッシングは1941年2月5日の日記にスターリンとの二回目となる面会のことについての記録を残しています。

メッシングには「スターリンの葬儀」や、その死後、次男のワシーリーが逮捕され拷問されるのが見えました。そんな悲惨な末路を辿ることになるワシーリーの人生など、スターリンにとっては決して聞きたくないことです。だから、彼は、「ワシーリーは将軍になる」とだけ伝えたのです。

そして、娘のスベトラーナですが、メッシングは彼女が将来父を裏切り、スターリンとソ連政府を公然と非難する姿をも見えました。しかし、メッシングはやはり真相を話せず、ただ慎重に、「彼女は健康で幸せに長生きする」とだけ伝えました。
(つづく)

詳しくはEPOCH TVをご覧ください。
https://www.epochtimes.jp/2022/08/113291.html

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