甘粛省敦煌市内の莫高窟と西千仏洞の総称で、中国の有名な三大石窟の一つです。(パブリックドメイン)

仏教芸術の宝庫――敦煌莫高窟

「敦煌莫高窟」(とんこう ばっこうくつ)、甘粛省敦煌市内の莫高窟と西千仏洞の総称で、中国の有名な三大石窟の一つです。現存する石窟の中では世界一大きな規模であり、完全に保存された仏教芸術の宝庫といえます。

莫高窟は敦煌市から東南に二十五キロ離れた鳴沙山(めいさざん)の東のシジ崖に位置しています。建元二年(西暦366年)、砂門楽僧が鳴沙山を通過した時、鳴沙山が金色の光を放ち、千仏のように見えたので、山を掘る決心をしたといいます。その後も山は掘り続けられ、仏教聖地となり、「敦煌莫高窟」と名づけられました。一般には千仏洞とも呼ばれています。

中国の石窟芸術はインドから伝えられてきたものです。インド伝統の石窟像は石彫刻が中心でしたが、敦煌莫高窟の岩は彫刻に合わないため、泥塑(でいそ)と壁画を中心としていました。

北朝洞窟は、一般的に釈迦と弥勒菩薩を中心仏像とし、両側には二肋菩薩、あるいは一佛、二弟子、二菩薩の塑像が置かれています。仏像の後ろは壁画と繋がっており、洞窟内部の天井と周り一面には壁画が描かれています。

莫高窟は隋、唐期が全盛期でした。百窟様式は北朝の中央塔式が隋朝になって中心仏壇に変わりました。仏像の組み合わせは以前と同じように唐の二弟子、二天王あるいは二力士でしたが、仏像は早期の「痩身清楚」スタイルから、以前の「豊満荘重」スタイルに戻りました。

壁画は大きい場面での説法図と簡単な経変図を中心としていて、特に目を引くのは唐の時代に作られた莫高窟です。一番大きい仏像を誇る第96窟の大仏や、第148窟にある莫高窟最大の彩塑群像の一組、本尊涅槃像があります。唐の壁画は壮大な規模の多種類経変図であり、その様子は天国の壮麗な景色を表しています。

石窟像は五代以降不人気になり、宋の時代になって衰退しました。

関連記事
 【大紀元日本9月6日】シルクロードは、アジアを横断してユーラシア大陸に続く有名な古代の陸上商業貿易の道であった。しかし、2000年余りの古い歴史を持つシルクロードの遺跡は、大自然の風雨にさらされ、多
【大紀元日本7月10日】懸空寺は中国山西省大同市近郊の有名な寺で、元の名は「玄空閣」。断崖の中腹にぶら下がるように建てられていることから「懸空寺」に改名された。 約1500年前の北魏時代に造営されたも
敦煌莫高窟(とんこうばっこうくつ)は、甘粛省敦煌市内の莫高窟と西千仏洞の総称で甘粛省にある敦煌石窟の代表でもあり、中国佛教の有名な3大石窟の一つである。世界文化遺産としてもその名が知られている。漢、鮮卑、吐蕃、黨項などの民族が仏を信仰した史蹟が残されていて、現存する石窟の中では世界一大きな規模を誇り、完全に保存された仏教芸術の宝庫である。
中国では5千年の間、神伝文化が栄えていきました。人々は何千年もの間、神々や佛を信奉し、身を修め、穏やかな性格を培ってきました。信仰は中国国民の道徳を維持するための基盤であり、文化と切り離せないものです。漢王朝、即ち紀元前に、仏教はインドから西域を経て中国に伝来しました。その後、中国仏教を形成し、中国文化への影響は非常に大きいのです。仏教の物語は多くの場合、絵画や塑像の芸術として表現されています。中国甘粛省敦煌市近郊にある仏教遺跡・莫高窟は十数王朝にわたって造営と修繕が続けられたもので、仏教芸術
芸術は人類文明の結晶であり、歴史を振り返ってみれば、芸術の起源は信仰と深くつながっています。古来、人々の神への敬虔な信仰心は、他の感情を超えていたため、芸術の初期段階では、天国の神仏を表現する作品が最もよく見られます。