終生を託された人の道【伝統文化】

春秋戦国時代、斉国に晏嬰(あんえい)という名声の高い賢明な宰相がいました。斉国の君主である景公にはとても可愛がっている娘がおり、晏嬰の有能さを知り、娘を晏嬰に嫁がせようと考えたのです。そこで、景公はわざわざ晏嬰の家を訪れ、二人は胸襟を開いて心行くまで杯を酌み交わしました。

宴席で、景公は晏嬰の妻も忙しく客人をもてなしているところを見かけ、晏嬰に「あの人はそちの奥さんかね」と尋ねます。晏嬰は景公の胸の内が分からず、「そうでございます。私の妻です」とありのままに答えました。すると、景公はため息をついて、「年老いているし、なんと醜いことか。私には若く美しい娘がいる。そちの妻として嫁がせようと思うのだが、いかがなものか」。

そのことばを聞いた晏嬰は、箸を下ろすとすぐさま立ち上がり、恭しくはっきりと景公にこう答えました。
「妻はもう若くはなく、美しくもございません。しかし、私はもう長い間、妻とともに暮らしております。女が嫁ぐということは、自分の一生をその人に託すということでございます。妻は、若いときに、私の貴賎も容貌も問うことなく、自分の一生を私に託し、私はそれを受け入れました。今、陛下がお嬢様を私に嫁がせようとなさっていることはとても光栄なことではございますが、人間として、私はすでに、天に誓って、私に一生を託した妻の情を受け入れました。どうして、今、その情に背いて他の人を受け入れることができましょうか」。

晏嬰は高い地位にありながら、年老いて醜くなった妻の情に背くことはなかったのです。彼の人としてのあるべき道と高尚な品性は人々に深く尊敬されました。